学芸の小部屋

2003年9月号

葡萄文

 

読書の秋、食欲の秋、芸術の秋。

 2003年9月28日(日)まで開催中の館蔵「古伊万里—見るうつわ 魅せるうつわ—」の展示作品の中から今回ご紹介するのは秋の味覚、葡萄について。

 「染付 葡萄文 皿 伊万里」(17世紀後半〜末)は、竹の棚につるを絡ませたみずみずしい葡萄と、白磁の余白を効果的に利用した染付が特徴の立体感溢れる作品です。古伊万里の葡萄文の作品と、貞享三年(1686)十一月刊の『諸國 御ひいなかた』(江戸時代に出版された着物のファッションブック)に描かれた葡萄の着物文様を比較してみると、いかに当時の人々がデザイン流行を意識し、それをやきものに反映させていたのかがわかります。



 葡萄は果汁の中に糖分と水分が絶妙なバランスで含まれ、果皮が破れると発酵が始まるという仕組み。葡萄酸(酒石酸)や林檎酸(葡萄にも「林檎酸」が含まれているのです!)などによって酸性に傾いていることから発酵力が強く、雑菌も繁殖しにくい。純粋培養に近い状態で葡萄酒ができるという、まさに葡萄の神秘。また皮の白い粉は水分の蒸発を防ぎ、鮮度を保つ役割を果たしているとのこと。(防虫の薬品ではなかったのです…)

 原産は、西アジアもしくは中央アジアといわれ、東西に広く伝播した世界で最も古い栽培植物の一つといわれています。西はペルシャ→ギリシア→ローマと広まり、「創世記」によるとノアが箱舟を出て、葡萄畑を作ったとの記述があります。またキリスト教の聖餐式では、赤ワインがキリストの血を象徴するなど、葡萄が西洋において神聖な果物として考えられていたことがわかります。東へは漢の武帝(159〜87B.C)の時代に張騫によってバクトリアから持ち帰られたと「図経」(659)に記され、「海獣葡萄鏡」の海獣(=神聖な獣)と共に葡萄が表されていることから、唐の時代にはすでに葡萄が神聖、あるいは西方文化への憧れを象徴する果物として認識されていたことがわかります。また、乾燥に強く一本の木に多数の実を付けることから、石榴とともに子孫繁栄と豊饒を寓意しました。

 日本へは中国、朝鮮から仏教美術とともに伝播したと伝えられています。法隆寺金堂や薬師寺などの寺院に見られる葡萄唐草文がそれです。また『古事記』にはイザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰る時、黒い髪飾りを取って投げつけると葡萄の実(古名エビカズラノミ)が生え、ヨモツコシメがそれを食べている間に逃げたといわれ、邪気や病魔を追い払う力があると考えられてきました。葡萄のつるを象徴した唐草文様は古くから伝わりましたが、果物として本格的に栽培されるようになったのは、1186年(文治2年)になってから。それ以前にも作られていたらしいのですが、薬用としての意味合いが強いとのこと。ちなみに‘ブドウ’の名はペルシャ語の「Budan」→「蒲桃」→「葡萄」と音訳されたといわれています。

 たわわに実った葡萄を食べた後は「染付 葡萄文 皿 伊万里」で、秋の気分を盛り上げましょう。



*2003年9月29日(月)〜10月3日(金)までは、展示替えの為休館いたします。

 次回は10月4日(土)より「館蔵 古九谷・柿右衛門 −色彩の華」展です。また、受付にて古美術雑誌『Yu-raku遊樂』初の別冊特集号を販売致します。館蔵品の中から厳選した作品を掲載した「戸栗美術館古九谷名品撰」(9月下旬頃)には展示予定作品も多数掲載されています。

 皆様のご来館をお待ちしております。

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