学芸の小部屋

2004年5月号

見て栗!!!

  さわやかな風が心地よい季節となりました。
 当館では、2004年6月27日(日)まで館蔵『江戸の至宝—鍋島焼の芸術—』を開催中です。

 さて、今回ご紹介するのは「青磁銹釉 栗形熨斗 押え 鍋島」江戸時代(18世紀前半、高10.3㎝、10.5×10.3㎝)。
 葉に青磁釉、栗のイガと果実部分に銹釉を掛けた、いわゆる文鎮です。
  鍋島焼の立体作品の中でも、栗の形を写実的に表現した今展の注目作品。「本物みたい!」「美味しそう!」「かわいい!」と職員の熱い視線を集め、更には館長直々の指示により来年度の当館オリジナルカレンダーに採用される程の人気です。

 この「青磁銹釉 栗形熨斗 押え」は肉厚の葉の中央に鋭くとがったイガがあり、その中に3つの栗の実を並べています。(残念ながらイガの大半は折れていますが…)三方向に広がった形は安定感があり、茶色に発色する釉薬(銹釉・さびゆう)の特徴を存分にいかした艶やかな栗は、完熟した実そのもの。栗の姿を忠実に写し取ろうとする陶工の技術の高さが感じられます。

  大漢和辞典によると栗は「固い」「みいりが良い」等の語源があり、他に伝世する椿などの押えとともに、献上品としてのイメージを損ねないモチーフといえます。
 栗はブナ科の植物で、ちょうど今の季節に黄淡色の花穂をつけます。 現在でも食用の他、耐久・耐湿性に強いという特性を活かし、鉄道の枕木、椎茸栽培の台木など幅広く用いられています。

  栗の歴史は古く、今までの縄文時代の常識を覆した三内丸山遺跡の柱にも、表面を焦がして防腐加工した栗の大木(直径約1m!)が用いられていました。また、ゴミ捨て場と考えられる「谷」からは、同じ遺伝子構造を持つ栗が大量に見つかり、栗が縄文の人々の主要な食料として計画的に栽培されていたことも分かっています。

 ちなみに…青森出身の筆者は、小さい頃によく三内で土器の欠片を拾っていました(今、それをしたら犯罪かも…)。
  スタジアム建築も、本格的な発掘もはじまる前のこと、周囲は木々が生い茂り、自分の足の下にあの巨大な遺跡が眠っているとは想像もつきませんでした。

 時代は下り、江戸時代前半まで栗は貴重な甘味として好まれていました。 砂糖の普及以前の時代、生あるいは煮て天日干しし、臼で搗(つ)いて渋皮をはぶいた搗栗(かちぐり)が食べられていました。
 「勝ち栗」→「戦に勝つ」のゴロ合わせから、武将が出陣・帰陣する際の儀式の縁起物として「敵に打ち(鮑)、勝ち(栗)、よろこぶ(昆布)」で「三種の肴」のひとつとして用いられたのです。
  栄養素の面からみても食物繊維、でんぷん、ビタミンB1、C、カリウム、鉄分などがバランスよく含まれており、関節を丈夫にする、血液の循環を良くする、止血作用があるなど、戦の際に必要な成分が目白押しです。 縁起の良さとともに、基礎体力をつけるのに効果的な食材を食物儀礼の中に取り入れたのです。

 栗は、食・住の分野で長く親しまれてきました。 現在は、簡単に皮が割れたり、既に剥いてある食べやすい栗も流通しています。 しかし、渋皮にはタンニン(抗ガン物質)が含まれていることが最近わかってきました。少し不器用で、渋皮を付けたまま食べる人のほうが健康になるのかもしれません。

 当館の栗はやきものですが、見るだけでもその美味しさが伝わってきます。本物の栗と比較し、楽しみながらご覧いただければと思います。

 皆様のご来館をお待ちしております。

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