学芸の小部屋

2006年8月号

「染付 日本地図文 皿 伊万里」

江戸時代(19世紀)

厳しい暑さが続く毎日ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。当館では現在、9月24日(日)まで「古伊万里唐草」展を開催しております。

 今展示では伊万里焼の創成期である17世紀初頭から19世紀に至るまでの唐草文様の変遷をご覧いただけます。本展示には名品も数多く出展してございますが、今回の学芸の小部屋では少し目線を変え、江戸時代後期の流行品「染付 日本地図文 皿 伊万里」〔江戸時代(19世紀)高さ5.3㎝ 口径28.4×24.5㎝ 高台径16.2㎝〕をご紹介いたします。

 この作品は、型押(かたおし)した浮き文様に染付で描き込みをした日本地図文が描かれた角皿で、海の部分には蛸唐草が描かれており、裏面には「天保年製」の銘があります。それまで蛸唐草は壷や瓶の全面を埋める文様として頻繁に用いられていましたが、この作品では日本を囲む海の部分に、まるで渦潮のように使われている点が大変おもしろい作品です。

  伊万里焼に描かれた唐草文様は、さまざまなバリエーションが生まれ、時代とともに変化を遂げてきました。繰り返される渦巻きと蛸の足を思わせる突起をもつ蛸唐草は、18世紀前期には輪郭線を丁寧に描いてからその中をきちんと濃(だ)みで塗り埋めていました。しかし18世紀中期から後期になると、輪郭線を描かなくなり、伊万里焼の大衆化による大量生産に伴って次第に簡略化されていきます。この作品に描かれた蛸唐草は回転数が多く、細い歯車状の突起をもっており、19世紀に描かれた蛸唐草の典型といえます。

 江戸時代後期の天保年間前後には、日本地図が描かれた地図皿が数多く作られました。地図自体は同一のパターンが多いのですが皿の形状やデザインに様々なバリエーションが見られ、当時の地図皿の流行を想像することができます。この作品のように地図皿に蛸唐草文を描くデザインは、19世紀に多く作られました。地図文が流行した背景として、通商を求めて多くの外国船が来航するようになったことが考えられます。それは200年余り続いた鎖国に軋みをもたらせ、世界を意識せざるをえない状況を作り出しました。欧米列強の圧力に翻弄されながら国家意識を高揚させていった当時の時代背景が感じられます。また、伊能忠敬が幕府測量方として日本地図を完成させたこと、寺子屋の普及、参詣旅行の流行などの大衆文化の成立も地図文の流行に繋がったと考えられます。しかし、地図皿に描かれた日本地図の多くは当時一般的に親しまれていた「行基図」と呼ばれる地図でした。そこには「小人国」や、鬼女が住むとされた「女護国」等の実在しない伝説の国も見ることができます。正確な地図は一般にはまだ広まっていなかったのでしょう。

 伊万里焼の量産によって庶民の暮らしの中で見ることができるようになった蛸唐草文様と、社会背景を如実に反映した地図文様を兼ね備えたこの作品は、江戸時代後期の人々の生活を映し出しているかのようです。

今回の「古伊万里唐草」展では、このほかにも3点の日本地図皿を出展してございます。江戸時代の流行に想いを馳せながら見比べてみてはいかがでしょうか。また、約100点の作品で唐草文様の変遷をご覧いただけます。夏の暑い日にはぜひ、当館で古伊万里染付を眺めつつ涼しげなひとときをお楽しみ下さい。

職員一同、みなさまのご来館をお待ちしております。


財団法人 戸栗美術館

Copyright(c) Toguri Museum. All rights reserved.
※画像の無断転送、転写を禁止致します。
公益財団法人 戸栗美術館