学芸の小部屋

2007年11月号

「たこ唐草文 鉄漿茶碗 伊万里」

江戸時代(18世紀)

 日に日に寒さが増していく今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。受付から臨む庭の風景も、爽やかな秋晴れのなかで、夏とはまた違った雰囲気を感じさせてくれるようになりました。
現在開催中の『からくさ—中島誠之助コレクション—』も、早いもので二ヶ月目に突入です。上手の「たこ唐草」や「花唐草」はもちろんのこと、幾何学文様などを散らす・繋ぐ・尽くすなどの構図でにぎやかに描かれたうつわは、現在の私たちが見ても斬新な印象を受けます。今展示は12月24日まで引き続き開催しております。江戸時代独特の感性が表現された、中島氏愛蔵の染付伊万里を是非御覧ください。

 今展示では、染付磁器ばかりを100点程出展しておりますが、その中で一点だけ、実は食器ではないものがあります。それが今回ご紹介する『たこ唐草文 鉄漿茶碗 伊万里』 [江戸時代(18世紀)口径:16cm 高さ:6.5cm]です。うつわの内側・外側両面をたこ唐草だけで隙間無くびっしりと埋め尽くした碗です。端正に描き込まれたたこ唐草は太く、染付の色も濃く鮮やかで、小さなうつわながら力強さが感じられます。たこ唐草好きの方にはたまらない一品なのではないでしょうか。

 そもそも「たこ唐草」というのは後付けされた通称です。17世紀〜18世紀の初期にかけては、輪郭線で縁取った中を丁寧に塗り込む唐草文様が主流ですが、しだいに輪郭線が消え、19世紀になると線書きに略化されて描かれるようになります。このような線書きの唐草文様をタコの足に見立てて、現代になって「たこ唐草」と呼ばれるようになりました。そして「たこ唐草」は次第にその幅を広げ、18世紀のものも含める呼び名となっていったのです。

 さて「鉄漿(かね)茶碗」と前述しましたが、これはお歯黒の鉄漿水(かねみず)をつける際に口をすすぐために使う茶碗のことです。お歯黒とは、歯を黒く染めることで、江戸時代では既婚女性がすべて行ったといわれます。ではなぜこの作品が普通の飯椀ではなく鉄漿茶碗といえるのでしょうか?理由は二つ挙げられます。まず一点目は、器形です。この碗のように、小さな高台から口縁(こうえん)部にかけて薄くなりながら、すっと直線的に立ち上がるのは鉄漿茶碗の一般的な器形といえます。直接口をつけるものですから、口当たりをよくしようとした結果このような形になったと思われます。またもう一つは、意外にも文様の描き方にあります。このうつわには外側だけでなく内側にも一面に文様が描かれています。飯椀や鉢などは料理を盛ってしまうと文様が隠れてしまうのに対して、水を入れると文様がさらに映えます。それに着目して、鉄漿茶碗をはじめとする水を入れるうつわには、内側にも文様が施されているのです。外側は真っ白で文様が描かれておらず、内側に色絵の花文が華やかに描かれている例もあるほどです。「鉄片を茶の汁または酢の中に浸して酸化させた液(かね)に、付子(ふし)※の粉をつけて歯につける。」※「ヌルデの若芽・若葉などに一種のアブラムシが寄生し、その刺激によって生じた瘤状の虫えい。」(『広辞苑』)という苦くて渋くい上にとても臭いお歯黒。もしかすると、決して好ましいとはいえないお歯黒の苦痛を少しでも和らげようとしたのでしょうか?

 水を張るうつわとしては、鉄漿茶碗の他に盃洗(はいせん)があります。17世紀後半ごろより酒宴での献酬(けんしゅう)の際に杯をすすぐことが行われるようになったことから生まれた器形です。脚台付きの形状が特徴ですが、当時描かれた浮世絵などを見てみると、大きな深鉢も使用されていたことがうかがえます。今回出展しているうつわの中で、口径:37.0cm、高さ:18.0cmという両手で抱えるほどの深鉢がありますが、見込み部分に山水文、内壁部分には撫子(なでしこ)文が丁寧に描き込まれていることから、やはりその一例と考えられます。盃を洗うという実用的な役割はもちろんのこと、ぷかぷかと浮かぶ盃を見て楽しむインテリア的な存在でもあったようです。

 同じように見えるうつわであっても、現代の私達には想像もつかない意外な使い方がされている場合が多くあります。実際に使われていたうつわ達を見て、江戸時代の人々の生活に思いを馳せるのも、楽しい鑑賞方法かもしれません。


今回ご紹介した鉄漿茶碗や盃洗・深鉢はすべて第3室において、浮世絵とともに展示しております。どうぞ御覧下さい。
みなさまの御来館をこころよりお待ちしております。

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