学芸の小部屋

2009年3月号

「色絵 籬椿文 捻花形皿 伊万里(古九谷様式)」


江戸時代(17世紀中葉)

 寒さもゆるみ、春めいてまいりました。皆様にはご健勝のこととお慶び申上げます。

  今回ご紹介するのは、古九谷様式の中でも五彩手(ごさいで)といわれるタイプの皿です。中央には籬(まがき)からのぞく一枝の椿を描き、口縁は捻りを加えた捻花形(ねんかがた)にしています。周囲は紗綾形文(さやがたもん)・七宝繋ぎ文(しっぽうつなぎもん)・四方襷文(よもだすきもん)の幾何学的な細かい地文様を描いていますが、それが見えなくなってしまうくらいに上絵具で塗りつぶす、古九谷様式特有の“地紋つぶし”の技法で縁取られています。青・緑・紫の濃厚な地紋つぶしに対して、主文様の椿の花びらは赤の上絵具による描線で繊細に描かれ、遠目にはグラデーションがかかっているようにも見えます。葉の一枚を緑ではなく黄色にしていることで、画面が単調にならず奥行きが出ています。写真では少し色がくすんで見えますが、実際には色鮮やかで艶があり、中皿ながら迫力のある作品です。
 
 椿は花の散り方が首が落ちるようだといって嫌う説がありますから、椿がなぜ吉祥かと不思議に思われる方も多いでしょう。しかし、長い歴史の中では、椿は必ずしも不吉な木ではありませんでした。松や杉に代表されるように、冬も枯れない常緑樹の多くは神聖視され、神社仏閣の御神木としても尊ばれてきました。椿も常緑であり雪の中でも花を咲かせる吉祥の木だったのです。実用面からも、種から油が取れることから大切にされました。さらに、古代中国の老荘思想で有名な『荘子』に「大椿という木があり、八千年を春として八千年を秋とする」という寿命の長い大木の伝説が記されています。『荘子』は中世日本の知識階級ではよく読まれ、随筆や和歌などの文学に影響を与えた書物です。中国で「椿」と表現されるのはセンダンという木の仲間で、日本のツバキとは別種になりますが、日本ではこの「大椿」がツバキとみなされ長寿の象徴とされたのです。室町時代頃から椿の文様がよく見られるようになるのは、この「大椿」の伝説の影響があると思われます。
 江戸時代になると徳川家が椿を好んだことから、庶民の間でも椿の栽培が流行しました。そうした背景からか、伊万里焼には椿の文様が多く見られます。将軍家への献上用として、不吉な意味があるものなど絶対に描けなかった鍋島焼にも、椿を描いた作品は多いのです。

 今回ご紹介した皿は第2展示室に展示中ですが、ほかにも椿が描かれた作品を展示しております。また、第2展示室は葡萄や兎などのさりげない動植物の文様に吉祥の意味を読み取ってみよう、というテーマになっていますので、「こんな文様にもおめでたい意味があったんだ」という発見をしていただければ、と思います。皆様のお越しをお待ちしております。

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