学芸の小部屋

2010年7月号

「日本初の、蓋付き碗」

  夏らしい暑さになってまいりました。戸栗美術館では今月4日から、「古九谷展—伊万里色絵の誕生—」を開催します。(7月3日までは展示替えのため休館です。ご注意ください。) 古九谷と呼ばれてきたやきものの多くが伊万里焼だったという経緯については展示をご覧いただくとして、今回ご紹介するのはかわいらしい、小さな蓋付きの碗です。  


色絵 丸松竹梅文 蓋付碗
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
通高:7.5㎝ 口径:10.4㎝ 高台径:4.0㎝

 当館では5客で所蔵していますが、本来は10客、20客で揃っていたのでしょう。身と蓋は歪んでいてなかなか合いません。1300度以上の高温で焼くと、やきものは2割ほど縮みます。同じ窯の中でも場所によって温度が違うので、身と蓋がぴったりと合う作りにするには収縮率を同じにするために組み合わせた状態で窯に入れますが、そうすると釉薬が溶けてガラス化した時にくっついてしまいますから、合わせ目部分の釉薬は窯に入れる前に剥がしておかなければなりません。手間が掛かりますし、このような器形の場合、合わせ目が無釉では目立ちます。身は身だけ、蓋は蓋だけたくさん焼いて、後で組み合わせて出荷したので、大きさが合わないのです。それでも当時としては十分に高級で珍しい品物で、大名や公家、豪商などの富裕層しか手に入れることはできませんでした。

 この作品の文様は染付と色絵を併用して丸文を多用しており、古九谷様式の中では「学芸の小部屋」2009年9月号でとりあげた小皿と同じ「祥瑞手(しょんずいで)」の仲間です。蓋や胴まわりの丸文の中には、花や銀杏の葉、宝、松竹梅などが、見込と蓋の裏には小さな草花文が描かれています。
 古九谷といえば斬新で躍動感溢れる文様が描かれた大皿が代表的なのに、それを差し置いてなぜこんな小さな碗をご紹介しているかというと、これが日本最古の国産磁器製蓋付き碗の形だからです。17世紀前期の初期伊万里には、この形はありません。九州近世陶磁学会編纂の『九州陶磁の編年』に「知られている中で最も古い蓋付き碗」として掲載されている作品が、これと同じ形で文様もよく似ており、生産されたのは1640年代後半〜50年代中頃と推定されています。ちなみに赤や緑で絵付けをする色絵も初期伊万里にはありませんから、この碗には日本初が2つも入っていることになります。この後、蓋付き碗は伊万里焼の得意分野となって、飯茶碗や丼などさまざまな形に展開していきます。

 「学芸の小部屋」や戸栗美術館公式ブログ「とぐりのぶろぐ。」でたびたび登場している金閣寺の鳳林承章禅師は、伊万里焼の蓋茶碗に砂糖を入れて贈答品に、というお洒落な使い方をしていますが、皆様にはどんな使い方が思い浮かぶでしょうか。

(松田)
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