学芸の小部屋

2011年3月号

「享保の改革と鍋島焼」

 各地で梅が満開になって、春めいてきました。今回ご紹介するのは、壺が描かれた七寸皿です。



「青磁染付 七壺文 皿」鍋島(18世紀前半)
口径:20.0㎝ 高さ:5.9㎝ 高台径:10.8㎝

 当館の所蔵品は壺が7つの「七壺文(しちこもん)」バージョンですが、この他に「五壺文」や「三壺文」など、皿の大きさに合わせて壺の個数が違う作品も知られています。青磁の壺、墨弾きの技法で細かい紗綾形文をあらわした壺、文様を描かずに白く抜いた白磁の壺。ひび割れの文様を描いた壺は、おそらく青磁の「貫入(かんにゅう=釉に入るひび割れ。青磁の場合、見所の一つとなる)」を表現したものでしょう。背景の青海波文とあわせて、「猩々(しょうじょう)」を意味する文様かと思われます。猩々とは海の中に住んでいて、不老不死の薬酒を授けてくれるという伝説上の生き物です(猩々については2009年6月号参照)。

 前回・前々回とご紹介した色絵の皿に比べて地味な、青磁染付です。8代将軍・吉宗(在職1716〜1745年)の時代に、染付・青磁、そしてこの皿のような青磁染付の作品が急増しました。原因は、享保の改革です。吉宗が将軍職に就いた頃、世の中は不況、幕府財政は非常に厳しい状況にありました。そこで吉宗は大幅な倹約と増税を断行します。享保の改革自体は有名ですが、その一環に「献上品の見直し」があったことはあまり知られていないのではないでしょうか。多すぎる物は数を減らしなさい、華美なものは質素にしなさい、という「減少令」が全国の大名に出される中、鍋島焼に関しても命令が来ました。今までは「色々の染付」があったけれども、今後は彩りの無い、「浅黄(水色系)ならびに花色(縹色。青系)等の形染付」を差上げるように。なお青磁は今まで通りで良い、という内容です。

 ここでいう「染付」は技法的な下絵付けをあらわす言葉ではなく、「絵が描いてある」という意味で使われています。この用法は技法的意味の染付よりも古くからあり、古文献を読む場合にはどちらの意味を指しているのか、注意が必要です。色数が多くて派手な色絵を制限し、青だけで彩色されているもの(つまり技法的意味での染付製品)、及び青磁を献上しなさい、と言われた結果、鍋島焼には色絵がほとんどなくなってしまいました。わかりやすく作風が変化しているので、享保の改革が行われた18世紀前半頃の鍋島焼は、盛期と区別して「中期鍋島」と呼ばれています。

「鍋島展—献上のうつわ—」は3月27日(日)で終了します。3月28日〜4月2日は展示替えのため休館となりますので、ご注意ください。4月3日(日)からは、伊万里・鍋島の青磁と白磁の美をテーマとした「青磁の潤い 白磁の輝き」展が始まります。

(松田)
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