学芸の小部屋

2011年7月号

  「花唐草の葉の表現」

「染付 花唐草文 鉢」 伊万里
江戸時代(18世紀) 高9.1cm 口径22.8cm

夏らしい暑さになってまいりました。戸栗美術館では今月3日から、「伊万里焼の技と粋展—古伊万里に学ぶやきものの“いろは”—」を開催します。
絵画や彫刻の展示に比べて「見方が分からない」という声を耳にすることもある「やきもの」の展覧会。陶磁器専門の美術館として、みなさまにもっとやきものに親しんでいただきたいと、今回の展示を企画いたしました。展示の要所には特集コーナーを設け、より分かりやすい比較展示等を行います。


その特集のひとつに「花唐草の変遷」コーナーがあります。
江戸時代初頭に作られ始めた日本初の磁器・伊万里焼。初期の段階から花をモチーフとした唐草文様は描かれていますが、伊万里焼の代表文様として定着するのは17世紀後半あたりからです。それが、18世紀、19世紀になると花や葉が省略されて単純化していき、「萩唐草」「薄葉」、そして「みじん唐草」と呼ばれる蔓先がびっしりと描きこまれる文様へと変化を遂げて行きます。

ところで、この「花唐草」とはいったい何の花なのでしょうか。
おそらく中国のやきものにも多く表されている牡丹をもとにしているのでしょうが、伊万里焼では花や葉の表現は写実性を伴っていないため、確実に花種を特定することができません。そのため『「花」唐草』と呼ばれています。

中国では、吉祥文様という概念があり、ひとつひとつの文様に意味を持たせ、その意味内容によって文様が選ばれていることも少なくありません。たとえば、牡丹は「富貴」、菊や桃は「長寿」、石榴は「多子」、瓜は「子孫繁栄」などを象徴しています。そのため、植物の種類をはっきり描き分ける必要があります。中国では元時代(14世紀)から青花磁器(=染付磁器)が作られていますが、そこに表される牡丹や菊、石榴などの植物の文様は、デザイン化されていながらも一見してそれと判断できるほど、きちんと描き分けられています。
ですから、「花」唐草としか表現しようのない特定できない植物の文様を描き、さらには時代が下るにつれて花や葉が省略されていくように変遷していくことは、文様に意味をもたせることのない日本ならではだといえるでしょう。

ところでその「花唐草文」を観察していると、中国の植物文様と近似する表現があることに気づきます。
それは、葉の周囲を塗りつぶし、中心部分は白地に葉脈が見えるように描く葉の表現です。
17世紀後半に完成する伊万里焼の花唐草文では、この葉の周囲を塗りつぶし、中に葉脈を描く形式ができあがっており、その後花が省略された唐草文が描かれるようになっても、葉の表現はこの描き方のままです(もっと単純化がすすんでいくとその限りではありませんが)。



宣徳の葉の表現 

伊万里焼の葉の表現

中国の染付磁器を振り返ってみると、元時代の青花磁器では植物の葉の表現に、青色の濃淡がつけられることはなく、一様な濃青色で塗りつぶすのが基本です。手のよい作品などでは、彫り文様によって葉脈を表しているものもありますが、絵付けによって葉脈が表されることはありません。つづく明時代の初期、永楽宣徳年間(15世紀前半)になると、写実的な表現が追及されるようになります。その中で、植物の葉の表現も葉脈を描きこむようになり、せっかく描いた葉脈を塗りつぶしてしまわないよう、葉の周囲だけ塗りこめる、という手法が用いられるようになっていきます。この葉の描き方は、その後形式化、単純化しながら、中国景徳鎮窯における表現手法のひとつとして受け入れられていっています。



元代の葉の表現 

宣徳様式の葉の表現

 花唐草文様をもつ伊万里焼が作られた頃、伊万里焼は中国磁器の代替品としてヨーロッパで求められていました。お手本として目にする中国磁器の中には、このタイプの葉が描かれている作品もあったでしょうから、そこから採り入れられた表現方法だったのかもしれません。

 

(杉谷)
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