学芸の小部屋

2011年8月号

  「雨文様の器」

「染付 雨文 六角向付」
伊万里 17世紀後半

 すっかりと梅雨も明け、毎日暑い日が続いておりますが、夏バテなどされていませんでしょうか?今年は節電の夏になりそうですが、みなさま体調管理には十分にお気を付け下さい。
現在開催しております「伊万里焼の技と粋 〜古伊万里で学ぶやきもののいろは〜」展では、夏らしく華やかな色絵や涼しげな染付の伊万里焼が並んでおります。今回は展示品の中から染付で雨文様が施された、六角向付と奈良茶碗をご紹介いたします。

 まずは六角向付。こちらの雨粒を表現した点線文様をよくご覧いただきますと、六面全てが同じ形で描かれているということがわかります。これはひとつひとつフリーハンドで描かれているのではなく、型紙刷りといってステンシルのように文様を型紙に切り取り、素焼きをした器に押し当ててその上から顔料をすり込んでいく、という特殊な技法が用いられています。これは元禄頃に流行した技法で、桃山時代から行われた染織の型染め技法をやきものにも応用したと考えられております。
 型紙刷りで雨文様を施した後には、染付による濃み染めと呼ばれる手法で呉須の溶液を含ませた筆で文様部分をなぞり、流れ落ちる雨を表現しています。こちらの作品には、雨粒の点線文様がはっきりと描かれておりますが、点線を省略し簡略化した雨文様で表現されている向付なども作られておりました。

「染付 雨文 蓋付碗」
伊万里 19世紀初

 一方、奈良茶碗も同じく濃み染めの技法が用いられておりますが、観察する限りでは手描きによって雨文様が施されているように見えます。型紙刷りはそもそも量産の為に用いられたものですが、型紙作りは手間のかかる技法だった為、それほど数は多く生産されておりませんでした。又、茶碗のように、丸みを帯びた形状のやきものには型紙刷りが適さなかったのかもしれません。
 こちらの茶碗の蓋をよくご覧いただきますと、割れて焼き接いだ部分があることがわかります。江戸時代後期、日用の器は焼き接ぎで治すのが一般的で、これは割れた部分にガラスの粉を塗布し再度低い温度で焼成して接着させる技法です。漆を使用する金接ぎが茶道具などの高級品用だったのに対して補修費用も安く、焼き接ぎ屋が戸別に注文を取って歩き回っていたこともあって庶民の間で普及しました。
 当時の人々は、こうして割れてしまったやきものも、焼き接いで大切に使っていたのですね。


簡略化された雨文様(口縁部分)
「染付 蛸唐草丸文 碗」
伊万里 18世紀

 日本の磁器は朝鮮からの技術をもとに、中国にあこがれて作られてきましたが、この雨文様は中国や朝鮮の模倣ではなく、日本オリジナルのものでした。そこには稲の豊作を願う農耕民族の雨乞いの意味も込められていたのかもしれません。恵みの“雨”を文様として生み出した日本人ならではの、自然との近しい関係が伺えます。
 今回展示しておりますこちらの作品には、雨粒の点線文様がはっきりと描かれており、又奈良茶碗には雷文様も付け加えられておりますので、雨文様が施されている作品の中でも比較的高級品であったと考えられます。同じ文様が描かれていても制作方法が違ったり、形が違うと印象が変わって見えたり…。実際に近くでご覧になって見比べて頂ければと思います。

(金子)
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