学芸の小部屋

2011年11月号

磁器室について

 秋も深まり、散策が楽しい季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 当館では現在「海を渡った伊万里焼展~鎖国時代の貿易陶磁~」と題して、江戸時代に海外輸出用に製作された伊万里焼を紹介しています。
 今回は「色絵 獅子牡丹菊梅文 蓋付壺」から、ヨーロッパの「磁器室(ポーセリン・キャビネット)」について考えていきます。


「色絵 獅子牡丹菊梅文 蓋付壺」
伊万里 江戸時代(17世紀末〜18世紀前半)
通高:74.6cm 高:54.1cm 口径:20.8cm

 通高が74.6㎝もある大壺の器面に窓枠を設け、梅や獅子牡丹を描きこんでいるその豪奢な姿は、見るものを圧倒します。このタイプの伊万里焼は海外輸出用に製作された作品であり、ヨーロッパの王侯貴族が邸宅に飾る為に購入しました。伊万里焼の輸出が開始されたばかりの頃には、通高が30㎝台のものが多いのですが、17世紀末には90㎝を超す作品が製作されるようになりました。このように輸出伊万里が大型化した背景には、製作技術の向上、税法の改正に加えて、西洋の高い天井を持つ建築に合わせるという需要があったのかもしれません。蓋の形を甲高に仕上げる、つまみに獅子などの置物を飾りつける、蓋と本体を別々に焼き上げる、など輸出用の大壺は高さを演出するために多くの工夫が凝らされています。
 輸出用の金襴手様式の場合、青・赤・金で装飾されたタイプのものと、この他に緑・黄色などの色を加えたタイプの二種類が存在しています。当然後者のタイプのほうが、手間がかかるために値が張るものでありました。この作品も緑と黄色が使用され、窓枠の中には花びらの内側の線が細かく描かれた牡丹の姿や、獅子の凛々しい表情などが丁寧に描かれています。おそらく、輸出伊万里としては高価なものであったのでしょう。


 このような大壺などを使って邸宅を飾りたてた場で有名なのが「磁器室」です。オランダやドイツ・イギリスなどの北ヨーロッパにて発展し、17世紀末から18世紀初頭に建設のピークを迎えました。よく知られるところでは、ドイツのシャルロッテンブルグ城やオラーニエンブルク城の「磁器室」が挙げられます。
 室内全体を磁器で覆い尽くすその空間は、ともすると過剰・悪趣味ともなりがちですが、自身が収集したものを見せることは西欧の美術品収集家の間では「磁器室」以前にも歴史があり、重要な意味を持っていました。
 このような場は「美術品陳列室」と呼ばれ、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの王侯貴族が自らの邸宅内に競って設けました。元々その起源は15世紀のイタリアにあり、個人的な趣味で集められたものを保存・展示した「ストゥディオーロ(伊:studiolo)」という書斎でした。時代が下るにつれてアルプス以北にもこの文化は広がり、やがて他人に対して収集物を見せることを意識した「美術品陳列室」に変化していきます。同種類のものとしては「驚異の部屋(独:Wunderkammer)」、「珍品陳列室(仏:cabinet de curiosite 英:cabinets of curiosities)」などが挙げられます。
 大航海時代以降は、西洋以外の世界各地のものを展示することも流行し、東洋からもたらされた磁器もこの陳列室に展示されました。当初は陳列室の一部を構成する程度でしかありませんでしたが、やがてヨーロッパでの東洋趣味の流行と重なり、室内全体を東洋の磁器で飾る「磁器室」に発展していきます。この際、ルイ14世の「美術品陳列室」の陶磁器の装飾方法が、後に数多く建設された「磁器室」に大きく影響を与えていると言われています。このことからも「磁器室」は「美術品陳列室」の持つ「他人に対して見せる」という性格を受け継いでいると言えるのでしょう。


 「美術品陳列室」建設の流行からは少し遅れますが、東洋の磁器収集で有名な、かのアウグストゥス強王も自身の宮殿に「グリューネス・ヴェルベ(緑の穹窿)」とよばれる「美術品陳列室」を持っていました。それは彼が集めた各地の美術品や工芸品(銀製品・象牙・宝石など)を宮殿の一翼に集め展示した、大変豪華なものであったと考えられています。このような華美で壮麗な装飾方法が施された背景には、30年戦争後(※)の絶対主義を強化する為に、権力を目に見える形で誇示することの必要性があったと言われています。
 彼は東洋の磁器をこよなく愛し、新市街地に「日本宮」と呼ばれる磁器の宮殿を建設しようと試みました(彼が急死したために、残念ながら実現には至っていません)。この日本宮には彼の収集した東洋の磁器が一階部分に保存・展示される予定であり、財産目録には金襴手の有田磁器も確認されています。今回ご紹介した、金襴手の壺のようなタイプも含まれていたことでしょう。豪華絢爛な古伊万里金襴手の作品は、アウグストゥス強王の個人的な満足だけでなく、「グリューネス・ヴェルベ(緑の穹窿)」で展示されていた作品のように、彼の権力を人々に伝える役割も担っていたのかも知れません。 

※1618年から48年にかけて、ドイツを中心に行われた宗教戦争。主な戦場となったドイツは国土が荒廃し、著しく近代化が遅れた。

(谷口)
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