学芸の小部屋

2012年1月号

色絵弓破魔皿伊万里

色絵 弓破魔皿 伊万里
江戸時代(17世紀末~18世紀初)
高5.4cm 口径30.4×19.8cm
高台径21.0×12.8cm

明けましておめでとうございます。本年も、戸栗美術館をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、 1 月 4 日から 3 月 25 日までは、「祝福のうつわ展 — 伊万里・鍋島名品撰 — 」を開催します。今回は、その出展品の中から、お正月にふさわしい伊万里焼のお皿をご紹介いたします。

江戸時代元禄年間(1688-1703)を中心に作られた金襴手の伊万里焼の中でも、とくに富裕層向けに作られた最高級品は、形や文様などに規格性が高いという特徴から、「型物」と呼ばれています。この弓破魔皿も型物のひとつであり、当館所蔵品以外にも、他の美術館さんなどで4点の類品の所蔵が知られていますが、モチーフとして描かれている弓袋(ゆぶくろ)や矢筒、結び熨斗に施された文様などがそれぞれ異なります。当館所蔵品の弓袋には雲龍文、白木の箱には団鳳文が描かれており、格の高さがうかがえます。  

破魔弓・破魔矢は男児の初正月に贈られる縁起物であることから、この皿も正月用の祝いのうつわとして作られたものと考えられます。さらに大橋康二氏によると、『徳川実紀』の読み解きと、作品の年代観から、この種の皿が正徳三年(1713)、四歳で七代将軍となった家継への歳暮として贈られたものであるという具体的な年代・用法も指摘されています。佐賀藩鍋島家からの献上であれば鍋島焼ですが、他家が磁器を献上する際は、有田の窯に注文して作らせたものとの指摘もされています。(大橋康二著『将軍と鍋島・柿右衛門』雄山閣 平成19年 pp.176-180)

 均整のとれた形、精緻な絵付けなど、高い技術に裏打ちされた丁寧な作行きからも、特別な用途をもっていたという説には納得させられます。しかし、よくよく作品を観察してみると、デザインに不思議な点をいくつか見つけることができます。龍や鳳凰の姿や、フ袋や熨斗の結い方に合わせると、作品は天地は現在掲載している通りの向きになるのですが、そうすると蓋側に紐をかけている白木の箱が逆さになってしまいます。ちなみに他の美術館さんなどでは白木の箱に合わせた向きで展示・掲載されることが多いようです。どうぞ皆様も将軍がどの向きでこのお皿をご覧になったのか、一緒に考えてみてください。 
 
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