学芸の小部屋

2013年4月号

「古伊万里金襴手の中の中国」


色絵鳳凰丸文八角鉢 伊万里 江戸時代(18世紀前半) 高8.2cm口径22.1cm

 春風の心地よい季節になりました。みなさまつつがなくお過ごしのことと存じます。戸栗美術館では4月7日より「古伊万里金襴手展~元禄のきらめき~」を開催いたします。元禄バブルを反映して作られた絢爛豪華な伊万里焼をご堪能いただければと思います。

 今回の小部屋では、出展作品の中から「色絵 鳳凰丸文 八角鉢」をご紹介いたします。古伊万里金襴手のうち、一定の格式をもった声価の高い一群は、「型物」と呼ばれています。本作品も、そうした格調の高い型物の一つです。

 八角に型打ちされた内側面の各区画には、それぞれ赤地塗り埋めと、藍地に金彩による四方襷文を背景に、赤線描による七宝襷文を充填した丸文と、緑地に金彩と赤の輪郭線で表した牡丹花の丸文を交互に配置。外側面は内側面とほぼ同様の構成で、内外側面の文様が打ち抜いたように対応しています(牡丹花の丸文部分のみ赤線描の青海波文に変更しています)。内外側面は絢爛豪華な装飾であるのに対し、見込みは細い線描きによる鳳凰丸文を染付のみですっきりと表現しており、全体に典雅な雰囲気に作り上げられています。

  そもそも「金襴手」とは明時代嘉靖年間(1522-1566)頃、中国景徳鎮窯で作られたやきものに対する日本での呼称。約150年後の元禄時代(1688-1704)に日本で再流行したことにより、さまざまな文献に取り上げられており、元禄時代にはすでにその名で呼ばれていたことが分かっています。また、元禄頃に作られた伊万里焼と中国の金襴手を比較する記述があったり、「金襴の手の伊萬里焼」の表記も見られることから、当時からその頃の伊万里焼が中国金襴手の影響を受けてできた焼き物であると認識されていたことを読み取ることができます(※1)。
本作でも、器面を窓枠や文様帯で区画割りする構図や、びっしりと描き込んだ地紋、藍地に金彩という色の組み合わせ(※2)、広い面積の区画を赤で塗り埋める点など、要所に中国金襴手の要素を見つけることができます。
 その他、本作には用いられていないものの、赤玉や瓔珞(ようらく)・寿字などのモチーフや、赤地に白抜きの花唐草など、古伊万里金襴手を構成する多くの文様は中国金襴手から採用されています。

 しかし、そのように中国金襴手の要素を取り入れながらも、古伊万里金襴手には中国金襴手の完全コピー製品を見つけることはできません。古伊万里金襴手を構成する個々の文様を見てみると、緑地に黒点描を施した地紋や、蝙蝠のモチーフなどは同時代の清朝磁器から取り入れた要素、赤の輪郭線で赤・緑を主体に用いた唐草文などは古赤絵(※3)の要素と見ることができ、中国金襴手のみならず、さまざまな中国磁器の要素が織り交ぜられていることが分かります。

青花 鉢  景徳鎮窯 1640-1644 
高4.5cm 口径13cm 大英博物館所蔵
同様に透かし彫りを施された類品が、1643年に相当する干支名をもつ作品とともに、南シナ海航行中に沈んだ中国のジャンク船・ハッチャー・カーゴから引上げされています。
 その中で、本作の側面に見られる丸枠に赤線描で幾何学文を充填する表現は、明末清初手の透かし彫りの丸窓を設けている鉢や碗から想を得たものではないかと考えられます(※4)。実際に作例はあまり多くはないものの、古伊万里金襴手にも、丸窓の部分に透かし彫りを施した多角鉢が知られています。赤の線描で幾何学文を施した丸文は、この透かし彫りの装飾をより簡易な表現に置き換えて取り入れたものと見ることができるでしょう。本作と明末清初手の中国磁器(右図)は、染付と色絵という違い、透かし彫りと線描という技法面での大きな隔たりはありますが、器形や、丸窓の位置、窓内の幾何学文などに共通点を見出すことができます。内外面の文様を打ち抜いたように対応させている点でも、透かし彫りを手本としたことの証左と言えるでしょう。
 古伊万里金襴手では、中国の要素を取り入れるだけでなく、そこに創意が加えて作り出されていることが分かります。

 今展示では、このような中国磁器の影響が強く見られる作品のほかにも、さまざまなタイプの古伊万里金襴手を展示いたします。皆様のご来館を職員一同、お待ち申し上げております。



※1【「金襴手(金襴の手)」の表記がある代表的な文献】
・『万宝全書』巻八『古今和漢諸道具見知抄』(元禄7年(1694))…「金襴手 染付 嘉靖時代、鉢小道具何れも上手多し。染付のものにところどころ金を焼き付けたる成り。又金不入して同時代の小道具あり、又后渡り有り」
・『和漢三才図会』(寺島良安編纂、正徳3(1713)年頃) 「絵茶碗」の項…「近年出たる赤絵金襴手は甚だ花美なり。」「肥前伊万里窯は南京に劣らず。」「加喜右衛門は、細工にその名を得たり。」
・『槐記』(山科道安の随筆)享保13(1728)年2 月11 日の項…「皿 赤絵金襴の手の伊萬利焼 鯛を作身にして、…(略)」 
など

※2 ただし、中国金襴手では瑠璃釉地に金箔貼り付けによる金彩文様、古伊万里金襴手では濃染めの上に金泥による金彩文様と、技法は異なります。
※3 古赤絵とは、明時代嘉靖年間を中心に景徳鎮窯民窯で作られた色絵磁器に対する日本での呼称。染付は用いず、赤・緑・黄で上絵を施す。
※4 明末清初手とは、17世紀中葉から後半にかけて、中国景徳鎮窯で作られたヨーロッパ向けの染付磁器のこと。トランディショナルウェア。
(杉谷)

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