学芸の小部屋

2014年6月号

「龍と虎の関係性」

白磁龍虎文瓶
江戸時代(18世紀前半)

都内には梅雨前線が近づいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。戸栗美術館では6月29日まで「古伊万里動物図鑑展」を開催しております。今回は出展品の中から、「白磁 龍虎文 瓶」をご紹介いたします。

器面に釉薬をかけずに本焼きし、露胎のままとした珍しい作品。釉薬で覆われた一般的な伊万里焼とは異なり、陶器にも似た温かみのある独特の風合いに仕上がっています。胴部には雲の間から顔を出す龍と飛沫を上げる波、後方を振り返る虎を陽刻文様で表現しています。

伊万里焼に登場する動物の中でも比較的作例数の多い龍と虎は、本作のように「龍虎文」として特定の組み合わせで描かれることも少なくありません。古代中国において成立した龍虎の画題は、日本へと伝わり絵画や工芸品のモチーフとなりました。

日本において龍虎の画題は、室町時代以降に戦国武将や禅僧たちの間で好まれ、特に屏風絵などは武家社会において権力を誇示するための道具として用いられたと考えられます。江戸時代には、狩野派や琳派の画家たちが、当時すでに絵画や工芸品の画題として定着していた龍虎図をたびたび描いていたこともあり、伊万里焼でも17世紀後半頃より龍虎文が登場。「白磁 龍虎文 瓶」のように、室町から江戸時代にかけての絵画や工芸品には、龍虎とともに雲や波があらわされた構図が多く見られます。
では、現代の私たちが空想上の動物と認識している龍と、実在する虎の組み合わせは、どのような意味を持ってあらわされているのでしょうか。
一説には、五経のひとつである中国の古典『易経』(周~漢時代初期)に関係していると言われています。その中には「龍吟ずれば雲起こり、虎嘯けば風生ず(※1)」、「雲は竜に従い、風は虎に従う(※2)」とあり、日本でもこれが故事成語、ことわざとして定着。龍が雲を起こし、虎が風を生むという概念から、雲を伴う龍とそれに対峙する虎、荒ぶる風を感じさせる荒波の情景が、絵画や工芸品の画題となったと考えられるでしょう。

なお、江戸時代には、龍は架空の動物にも関わらず、龍を見た(※3)、骨を発掘した(※4)などという出来事が話題となっており、実在するものと信じられていました。また、日本に生息しない虎は実物を目にすることができず、中国絵画や工芸品を手本としたり、毛皮や骨を取り寄せて描いたとも言われています。そのため、日本の龍虎の表現には、中国絵画に見られるような猛獣としての勇ましさはなく、ユーモラスな表情に満ち溢れています。
また、有田という一地方において職人達の分業によって作り出された伊万里焼では、より一層に実物とはかけはなれた猫のような虎や、おどけた表情の龍が登場しており、親しみやすさも感じられます。磁器という立体物への絵付けや「白磁 龍虎文 瓶」のような陽刻による文様表現は、絵画のように平面上に描くこととは異なり難しかったことも、そうした表現が生まれる要因の1つでしょう。

「古伊万里動物図鑑展」では、愛らしいもの、滑稽なもの、凛と佇む美しい姿など、伊万里焼にあらわされた動物たちのさまざまな表情をお楽しみ頂ければと思います。


※1 龍が鳴けばおめでたい兆しの瑞雲が湧き立ち、虎が吠えれば自然に風が生じること。それぞれが相伴うことによってより一層勢いを増すことをあらわす。
※2 龍は雲を従え、虎は風を従えるように、天子に徳があれば必ず賢臣があらわれることのたとえ。
※3 平戸藩主松浦静山の『甲子夜話』巻11・「真龍を見し事」によると、明和元年(1764)、飯田藩主堀家の家臣が暴風雨の夜、龍のような生き物を見たとあるが、実際には竜巻の勘違いであったとみられる。
※4 文化元年(1804)、琵琶湖西岸の小丘から不思議な石が発掘される。龍の骨と見た農民は藩主に献上したが、文化8年(1811)阿波の小原峒山の著した『龍骨一家孤言』には、トウヨウゾウの下あごと牙の部分の疑いがあるとの記述が残されている。

<参考文献>内山淳一 著 2008『動物奇想天外 江戸の動物百態』/ 根津美術館 1986『龍虎の世界』

(金子)

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