学芸の小部屋

2014年7月号

「雪輪文」

染付雪輪文瓶
伊万里
江戸時代(17世紀後半)
高22.5cm 口径1.9×1.9cm
高台径5.2×5.2cm

雷雨に梅雨に曇り空。からりとした晴れが待ち遠しい今日のこの頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、戸栗美術館では7月12日(土)より『涼のうつわ—伊万里焼の水模様—』展を開催いたします。涼やかな水の文様で彩られた伊万里焼を鑑賞し、夏の暑さをしのごう!という企画展示です。今回はその中から、第2展示室に出展の「染付 雪輪文 瓶」をご紹介いたします。

夏に雪の文様なんて季節はずれのようにも感じますが、雪が降った年は豊作になるという伝承から、雪の文様は豊穣を願う吉祥文様として季節を問わずあらわされています。また、江戸時代の夏衣や浴衣には、わざと雪の文様など冬を連想させるモチーフをあらわしたものがあり、視覚的に涼を感じる効果のあるモチーフとして用いられた様子もうかがえます。

本作にあらわされている雪輪文は、代表的な雪の文様の一つ。輪花状の円に、いくつかの小さな切れ込みを入れた形をしており、早くは桃山時代の能装束や小袖などに例がみられ、伊万里焼では17世紀中ごろからよく用いられるようになります。
この雪輪文、辞書などを引いてみると、「雪の結晶を文様化したもの」と説明されることが多いのですが、日本で雪の結晶の形が認識されるのは江戸後期のこと。初めて雪の結晶を見たのは蘭学者の小野蘭山(1729-1810)だと言われており、雪の結晶の図像が残されているもっとも古いものとしては、寛政8(1796)年に洋画家司馬江漢(1738-1818)が顕微鏡で雪の結晶を観察してあらわした銅版画「以顕微鏡観雪花図」(『天球図』より)が知られています。続いて天保3(1832)年に古河藩主土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)が、やはり顕微鏡を使って雪の結晶を観察し、86個もの雪の結晶図(=雪華図)をあらわした研究書『雪華図説』を刊行。これは自費出版のようなものであまり流通しなかったそうですが、天保6(1835)年に刊行された鈴木牧之著『北越図譜』の図として引用されたことで、雪の結晶の形が広く知れ渡ることとなり、雪華文は着物の文様をはじめとして様々なものに用いられるほど大流行したといいます。
なお、平安時代以降、中国の詩文の影響から、しばしば雪のことを「六出」と表記したり、「六花(りっか)」「六の花(むつのはな)」と呼ぶこともありましたが、六方対称の雪の結晶形を理解した上での呼称ではなく、単純に雪の異称として用いたものと考えられています。

つまり、雪輪文は雪の結晶の形が知られるよりも早くから登場しており、雪の結晶を文様化したものではあり得ないのです。この誤解は、天保年間(1830-1844)以後、雪華文の流行につられて、雪輪文も切れ込みが6つの対称形をしたものが増えたことや、鈴木牧之の『北越図譜』の中で、雪華文のバリエーションの一つとして雪輪文が紹介されていることから広まったものとみられています。
では雪輪文の由来は何なのかというと、それについては諸説あり、ぼたん雪を文様化したものだとする説や、柳や笹に積もった雪のかたまりを文様化したものだとする説などがありますが、定かではありません。

本作では、白抜きの雪輪、中に濃み染めた円を描き入れた雪輪が舞っているほか、雪輪を窓枠として用い、中に秋草を描きこんでいるものなど、濃密な青海波文を背景に様々な雪輪が器面全体に散らされています。切込みの数は雪輪の大きさに応じて異なり、奇数のものや円を均等割りしていないものなども少なくありません。そうした幾何学性のうすい不定形は、自然観察から得られた描写のようにも感じられ、降ってくるふわふわの雪をあらわしているようにも見えます。
舞い落ちる雪として雪輪文をみてみると、私には、幼いころ、雪の日に空を見上げて、こんこんと降ってくる雪を延々飽かず眺めたことが思い出され、なんだかノスタルジックな気分になるとともに、頬にあたるひやりとした雪の感触がよみがえってきます。皆様には、どんな雪の日の思い出があるでしょうか。雪の日の思い出に浸ることで、しばしの間、夏の暑さを忘れていただければ幸いです。

『涼のうつわ—伊万里焼の水模様—』展では、本作同様、涼の記憶を呼び起こす作品を多数出展し、皆様のご来館を心よりお待ち申し上げております。

【参考文献】
・小林禎作『雪華図説新考』築地書店 1982年
・高橋喜平・高橋雪人『雪の文様』北海道大学図書刊行会 1990年

(木野)

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