学芸の小部屋

2016年2月号

「第11回:元禄文化—鍋島焼と伊万里焼—」

 先月の雪降る頃よりは、日中は少し寒さが緩んできたようにも感じます。皆様いかがお過ごしでしょうか。戸栗美術館では、現在「鍋島焼展」を開催中。17世紀末から18世紀初頭にかけて製造された最盛期の名品を初めとした約70点をご紹介しております。出展品の中には、本展が初出展となる貴重な色絵尺皿もございますのでどうぞお見逃しなく。

 さて、今月の学芸の小部屋では、最盛期の鍋島焼が製造された元禄年間(1688-1704)頃にスポットを当て、盛期鍋島が成立した背景と、同時期に花開いた元禄文化の中の伊万里焼について触れたいと思います。

 まず、鍋島焼は佐賀鍋島藩の直営窯で特別に焼造されたやきもので、主な用途である将軍家への献上の他、諸大名家への贈遣にも用いられました。元禄年間は「生類憐みの令」で知られる5代将軍綱吉の時代であり、元禄元年(1688)より側近の大名屋敷を訪問する御成を頻繁に行った記録が残されています。この御成に際し、諸大名は屋敷の整備や新築をして、将軍を迎えるに相応しい調度を整えたといいます。加賀藩の史料には、「御音物」として贈られた多量の品目の中に、肥前磁器と思われる茶碗や皿が数百個の単位で用意されたとも記されています。当館で保管している鍋島家伝来の図案帳(右図)には、元禄9年(1696)と戸田能登守の記載のある柘榴文の組鉢の絵手本が含まれており、寺社奉行であった戸田忠眞は寺社の管理だけでなく大名の行う儀式なども管理していたと考えられることから、大橋康二氏は御成に用いるうつわとして鍋島焼への注文があった可能性を指摘しています。
 つまり、元禄年間に将軍綱吉による側近や大名家への御成が盛んに行われたことから将軍用のうつわとして鍋島焼の必要性が増大し、上記のような注文に応える中でその意匠が洗練されていったものと考えられます。同時に規格性も整えられ、品格高い盛期鍋島成立の一因となったのでしょう。

<参考作品>右上:鍋島家伝来 図案帳 柘榴文 鉢/右下:色絵 柘榴竹垣文 皿 鍋島 江戸時代(17世紀末~18世紀初)

 一方で、この頃有田の民窯で焼造された一般流通品の伊万里焼はというと、海外輸出の低迷から国内需要の拡大に力を入れていました。元禄年間は安定した社会で商業や流通網が発達し、庶民の経済力が飛躍的に高まった時代。豪商と呼ばれる裕福な商人が登場し、高級な調度品を求めたことで豪奢な元禄文化が花開きました。彼らが目を向けたのは、中国・明代嘉靖年間(1522-1566)に景徳鎮民窯で焼かれ、日本で“金襴手”と呼ばれた金彩をふんだんに用いた色絵磁器(以下、中国金襴手)でした。時代の好みに合致したことで、製造後100年以上も後の元禄の世に至りリバイバルブームを巻き起こしたのです。伊万里焼もこの流行に乗り、中国金襴手の要素を取り入れた古伊万里金襴手様式を確立させます。
 これら金襴手のうつわの存在は次のように文献上にも確認されており、人々の反応やその用途をうかがい知ることができます。まず、正徳3年(1713)、寺島良安が編集した『和漢三才図会』の厨房道具の条、「近年出赤絵金襴手甚花美也。肥前伊万里窯不劣于南京。」とあり、金襴手が近年現れたものであること、また伊万里焼も中国製品に劣らないものである、と記されています。また、当時の大坂を代表する豪商であった鴻池家において元禄4年(1691)にまとめられた茶道具の蔵帳には「金襴手茶碗、五ツ、代銀弐拾両」とあり、茶道具として金襴手の茶碗を所有していたことがわかります。とはいえ、茶碗としての用途というよりは上記資料に「五ツ」とある通り、5客ないしは10客揃えの組ものとして所有し、茶懐石の場で向付として用いたと考えられます。
 このように所有された品は、中国金襴手、もしくは古伊万里金襴手の中でも特別丁寧につくられた優品(例:右下図)だったことでしょう。しかし一方で、当館所蔵の古伊万里金襴手作品の中には、金彩と色絵を控えめとし、染付を多用してやや簡略な意匠を描いた趣の異なる作例もみられます。そうして製造にかかるコストを減らす工夫をして価格を抑えた製品を生み出し、最高級品から手に入れやすい価格のものまで製品に幅をもたせていたことがうかがえます。それまで大名などのごく限られた特権階級の人々だけが享受していた高級品の伊万里焼は、元禄年間に至りその受容層の裾野を広げることとなりました。
<参考作品>色絵 赤玉瓔珞文 鉢 伊万里 江戸時代(18世紀前半)

 上記にあげたように、元禄年間は鍋島焼が最盛期を迎え、伊万里焼も様式変遷の最終形態となる古伊万里金襴手様式を確立させた時代。2つの様式で用いられた製造技術の根底は同じもので、「学芸の小部屋12月号(http://www.toguri-museum.or.jp/gakugei/back/2015_12.php」で触れた通り、鍋島焼が最盛期を迎えた契機として優秀な有田民窯の陶工の存在も指摘されていることからも、2つの様式は深く関わり合っています。しかし、同時代においてその作風はまったく異なるものでした。時代の流行に合わせ色彩豊かに絵付けを施し金彩で飾った豪奢な伊万里焼に対し、鍋島焼は金彩を使わず、均一にひいた染付の輪郭線とその中を正確に塗る赤・緑・黄の色彩が静謐な美しさを生んでいます。この明らかな作風の違いには、鍋島焼が将軍家への献上品であるという性質上、一般流通品の伊万里焼とは全く異なるやきものを生み出そうとした作り手の意図がうかがえます。
 現在開催中の「鍋島焼展」では献上品らしい凛とした佇まいの最盛期の名品を一堂にご覧いただくと共に、第3展示室では同時代に製造された古伊万里金襴手様式の作品もご紹介しております。是非この機会に、元禄文化の中で花開いた2つの肥前磁器の精華をご覧ください。今展は3月21日(月・振休)まで開催。皆様のご来館を心よりお待ちしております。

(竹田)

【参考文献】
大橋康二『将軍と鍋島・柿右衛門』雄山閣 2007/大橋康二「鍋島焼の変遷と出土分布」『第13回九州近世陶磁学会資料 鍋島の生産と流通—出土資料による—』九州近世陶磁学会 2003/矢部良明『日本陶磁の一万二千年』平凡社 1994

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