学芸の小部屋

2016年8月号

「第5回:瓶の作り方」

 冷酒がおいしい季節となりました。現在当館にて開催中の「古伊万里唐草—暮らしのうつわ—展」出展品のなかには、お酒を楽しむ際に使用していたとみられるものがあります。例えば、「青磁染付 蛸唐草文 瓶」(18世紀 高25.8㎝ 画像①)のような瓶は、江戸時代には祝いの機会などにお酒を入れてうつわごと贈答されることもあったようです(※1)。本作は青磁釉のミントブルーと、染付の青が相俟って清涼な佇まいをしているため、夏の暑さを和らげる涼のうつわとしても使われていたのかもしれませんね。

 ところで、本作のような首が細長い瓶(※2)を成形する方法は2通り考えられます。
 ひとつは轆轤(ろくろ)で裾から口縁まで一気に挽ききる一本挽きの方法です。轆轤成形では、基本的に片手をうつわの内側に、もう片方をうつわの外側において、素地を両手の指先で挟んで伸ばしていきます。しかし、本作のような瓶や壺などで器高の高いものや、口径の小さいものなどは手が器内に入れにくく作りづらいため、このような場合はヘラ(※3)を用いて素地を挽いていきます。

 一本挽きの場合は後述の継ぎ挽きと比べて作業工程が少なく、製作コストが抑えられるというメリットがあります。ただし、器高が大きくなればなるほど重みも増し、うつわの下部分が耐えきれずにへたって器形が歪んでしまうため、大作の製作には向きません。その上、江戸時代、伊万里焼に使われていた轆轤は蹴轆轤(けろくろ)であり、座って轆轤の台を蹴り回しながら成形していました。器高が高く大きな製品ほど速く轆轤を回転させる必要があるため、成形には高い技術、そして体力が求められたのではないでしょうか。       

 もうひとつは継ぎ挽きと呼ばれる方法です。この方法では1つのうつわを2つ以上のパーツにわけ、別々の土塊で分けて轆轤挽きし、それぞれを継ぎあわせて成形します。多くは胴の部分で2つのパーツをつなぎ合わせることから、「胴継ぎ」とも呼ばれます。
 継ぎ挽きは、それぞれのパーツの器高を低く抑えることができ、また重さも軽減することができます。さらに、1つ1つのパーツが小さくなるため乾燥中に生じるムラが少なくなり、素焼き前の破損のリスクを抑えることが期待できます。しかし、一本挽きに比べて作るパーツが増え、接合する工程も加わるため、結果的に製作コストがかかります。また、継いだ部分に凹凸がしばしば残ったり、上手く継げていないと器面にひびがはいってしまうことも。

 そもそも、継ぎ挽きは中国の龍泉窯や景徳鎮窯に見られる技法です(※4)。伊万里焼は、中国や朝鮮から技術を学んでいますが、素地の延びがよい性質から一本挽きがメインであったと考えられます。
 ただし、継ぎ挽きで作られたと考えられる作品が無いわけではありません。当館所蔵の伊万里焼では、初期輸出タイプである「色絵 牡丹文 瓶」(17世紀中期 高47㎝ 画像② ※5)に、継ぎ挽きの継ぎ目とみえる痕跡が確認できます。

 冒頭にご紹介した「青磁染付 蛸唐草文 瓶」は肩の部分に器面を一周したくぼみがあり、これを境界として文様の切り替えが見られます(画像③)。先述のとおり、継ぎ挽きによって生じる継ぎ目部分は焼成後に継ぎ痕が表れやすく、本作のくぼみはこれを隠すために付けられたかのよう。しかしその場合、半乾燥という強度に不安のある状態で、パーツの接合部分という弱い所に、ヘラやカンナを押し当てるなどして余計に圧を掛けてくぼみを作ることになり、成形中に壊れてしまうリスクが高まります。さらに、本作の器面からは継ぎ挽きの痕とみられる、意図的でない凹凸やヒビ割れは見当たりません。また、先に挙げた「色絵 牡丹文 瓶」は器高が高いので、継ぎ挽き技法を採用していたとしても肯けますが、本作はサイズの観点からも継ぎ挽きで作る必要性が認められないことから、本稿では一本挽きによる成形と推察します。
 このくぼみには、釉薬を掛け分ける際の目印や、透明釉と青磁釉を混ざりにくくする役割が考えられるでしょう。また、デザイン上の効果としては、胴部のなめらかな青磁釉と肩から上を蛸唐草で描き埋めた文様の切り替えが明確になります。くわえて、胴部のふっくらとしたフォルムが強調され、より優美な印象に仕上がっています。

今展では本作の他にも、この季節にあう涼やかなうつわを多数ご紹介しています。今年の暑さは例年に増して厳しいそうです。皆様くれぐれもご自愛下さいませ。
(小西)



※1当時は、徳利から直接盃や猪口にお酒を注ぐのではなく、お酒は徳利から銚子にうつし、そこから盃や猪口に注いで楽しんでいた。徳利は、あくまで運搬用の容器であり、なかにはうつわも含めた贈答用の製品もある。また、本作のような徳利形の瓶は、酒を入れるだけでなく、調味料入れや花生として使用された可能性も考えられる。

※2 鶴首と呼ぶこともある。「つるくび」あるいは「かくしゅ」と読み、前者は小型のものは茶入れや花入など茶道具について言う場合が多い。後者は朝鮮陶磁の作品名などにしばしば用いられる。いずれも首が細長い器形を指す。

※3 陶芸ではコテとも言う。有田や唐津では「のべベラ」と言うが、本稿では文章の煩雑化を避け、ヘラで統一する。ヘラには幅の広いものや割り箸のように細長いもの、耳かきのように先のまがっているものなど、製作する器形に合わせた形がある。本作のように首の細い作品は、細長いヘラを駆使して素地を伸ばしていく。

※4 景徳鎮窯では、南宋末(13世紀後半)頃に起こった原料不足を解消するために新磁土の開発が行われた。この時に成立した新磁土は、従来のものと比べて磁土の延びが悪く、一本挽きでは30㎝以上の製品が作れなくなり、また薄い素地の成形も困難になったという。このため、大型製品を作る方法として、パーツを分割して成形し、これらを接合させる必要があったと指摘される。(水上 2015年p.458)
 また、元~明時代(13世紀後半~17世紀前半)の景徳鎮窯では、小型の製品にも継ぎ挽きが見られることから、この技法が量産に有用な方法であったこともうかがえる。
 そのほか龍泉窯でも、大型製品の需要が高まった元~明時代には継ぎ挽きが用いられるようになったという。(佐藤 1978年 p.164-165)

※5 今展には出展していないが、次回展「戸栗コレクション1984・1985—revival—展」(10月4日(火)~12月23日(金・祝))に出展予定。

【参考文献】
佐藤雅彦『中国陶磁史』(1978年3月 平凡社)
佐藤雅彦『やきもの入門』(1983年 4月 平凡社)
『角川 日本陶磁大辞典』(2002年 8月 角川書店)
『古伊万里の見方2 成形』(2005年9月 佐賀県立九州陶磁文化館・編集出版)
水上和則「青花瓷器生産黎明期の景徳鎮窯業」(『専修人文論集97号』p431-468 2015年11月 専修大学学会)



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