学芸の小部屋

2018年6月号
「第3回:染付 福字 皿」

(作品公開期間:2018年6月1日~6月21日)

 初夏の緑が目にしみる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。『金襴手-人々を虜にした伊万里焼-展』も残すところ20日程となりました。戸栗美術館の収蔵品には、現在展示している伊万里焼の他に近代の陶芸作品もございます。今月の学芸の小部屋では、その中から北大路魯山人作「染付 福字 皿」をご紹介いたします。



 北大路魯山人(きたおおじろさんじん/1883-1959)は陶芸家、書家、篆刻家、美食家として大正・昭和に活躍した芸術家です。はじめは書の分野で名を上げましたが、30代後半頃より陶芸に力を入れはじめます。陶芸家としては遅いスタートでしたが、晩年には人間国宝に推挙されるほどの実力者となりました。自ら制作した食器で料理を提供する料亭を開き、「器は料理の着物」という言葉を残しているように、食器を標榜した作品制作を行った点に独自性がみられます。

 本作は口縁を鐔縁(つばぶち)とした皿の円圏内に福の文字が描かれています。しっかりと描かれた示偏に対して、旁は大胆に崩されており、全体にすっきりとした印象です。輪郭をとり、中を塗り埋める袋文字は、魯山人の得意とするところ。はっきりと筆の流れの痕が残る暢達でスピーディーな筆致が福の文字を生き生きとみせています。また、菁華窯(※1)のものと言われている白く美しい素地も、藍色の文字の存在感を強めています。縁銹のないタイプもありますが、本作は縁銹が全体を引き締め、余白が多い器面と程よいバランスです。裏面には、染付圏線のほか、高台内に「魯山人」と銘が記されています。

 本作のような鐔縁の皿に福の文字を描いた皿は、魯山人作品の中でも、特に数多く作られたものの一つ。少なく見積もっても1000枚は作られたと試算されています。その大半が制作されたのは、魯山人が浪費を理由に、自らの料亭を解雇された昭和11年以降のこと。大きな収入源を失った魯山人に支援者らから沢山の作品が注文されました。複数の企業の重役等からは贈答品として、数々の有名料亭からは食器として注文が舞い込んできました。その際に、一、二を争う人気であったのが、染付の福字の皿です。本作もこうした注文の中で作られた一枚であったのでしょう。
 それだけの数が作られたにも関わらず、ひとつとして同じ福の文字がないのがこの作品の特徴です。渦福のものや、偏と旁が繋がっていないもの、はらいに勢いのあるものや落ち着きのあるものなど様々。一文字に対してそれだけバリエーションに富み、多彩な表情を生み出せるのは、魯山人の書家としての力量があってこそといえます。

 うつわに袋文字で福と描くのは、魯山人が絵付けをはじめたばかりの大正時代頃の作品に既にみることができます。そこから30年以上にわたり魯山人は福の文字を描いた作品を作り続けました。
 福という字は文字通り吉祥の意味から伊万里焼でも文様としてあらわされていますが、魯山人が生涯に渡り、うつわに福字を描いたのは、福という文字が彼にとって親しみ深いものであったことが一因と思われます。
 魯山人は実家の北大路家を33歳の時に継ぐ(※2)までは、養子に入った福田家の姓を名乗っていました。そのため、それ以前の作品には福田の名が記されています。また、生まれ育った京都からはじめて上京した際に生活した部屋は福田印刷所の2階で、料亭を解雇された魯山人に食器制作と料理指南を依頼した割烹旅館・福田屋は支援者の中でも大きな存在でした。このように、生涯を通して福という文字は魯山人に関わりある文字だったのです。

 文字や作品には、制作者の人格があらわれると主張する魯山人。「芸術というのは、いつも言うように人間の反映だ。形以外のもの、肉眼では見えないものが作品に籠もっていなければダメだ」(「愛陶語録」『魯山人陶説』1992)といいます。その彼が作った作品であれば、当然そこには、彼の人格があらわれているはずです。福字の皿に一つとして同じ文字がないにも関わらず、そのどれもが魯山人のものと分かるのは、作品に人格が込められているためかもしれません。福という彼の人生に最も関わり深い文字を、書家としての実力を発揮し、食器に描いた本作は、数多く作っている点も含め、魯山人を象徴する作品の一つといえます。北大路魯山人作「染付 福字 皿」は6月21日まで展示しております。是非、うつわの向こうにどんな人物がみえてくるのか、のぞいてみて下さい。

(青砥)

※1 菁華窯:石川県加賀市山代温泉にある窯。大正4年(1915)に魯山人はこの窯で初めてうつわに絵付けをする。以後、菁華窯で陶芸を学び、自分の窯を持つまでは、この窯を中心に作品制作を行う。初代須田菁華(すだせいか/1862-1927)は祥瑞、呉須赤絵、古赤絵、古九谷など古陶磁の模倣に長けており、魯山人作品にも大きな影響を与えた。
※2 魯山人の北大路家の家督相続については、大正2年(1913)、大正4年(1915)、大正5年(1916)など諸説ある。

【参考文献】
北大路魯山人著・平野雅章編 『魯山人陶説』 中公文庫 1992
山田和 『知られざる魯山人』 文芸春秋 2007
山田和 『夢境 北大路魯山人の作品と軌跡』 淡交社 2015
『北大路魯山人の美 和食の天才』 NHKプロモーション 2015

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