学芸の小部屋

2019年5月号
「第2回:染付 瓢箪文 皿―『伊万里』と呼ばれた『志田焼』―」
(展示期間:5月1日~5月31日)

 皆様、こんにちは。

 現在開催中の『佐賀・長崎のやきものめぐり』では江戸時代に作られた有田産の伊万里焼を中心に、個性豊かな佐賀と長崎のやきものをご紹介しております。 今月の学芸の小部屋は、佐賀のやきもののうち、先日、収蔵品の中から新たに見つけ出した志田焼を取り上げます。

「染付 瓢箪文 皿」は、口径20.5㎝の志田焼の中皿です。見込に描かれるのは、たわわにみのる瓢箪。さらに、口縁にも墨弾きと薄濃であらわされた瓢箪繋ぎ文が描かれています。全体に深い発色の染付によって、落ち着いた雰囲気の作例です。 瓢箪は多くの実がなること、中に種が多量につまっていることなどから子孫繁栄の吉祥植物であり、沢山描かれることでその吉祥意が強まるモチーフ。本作はいくつも瓢箪が描かれており、使う人に幸せを運んでくれそうなうつわです。

 やきもの大国であった肥前国(現在の佐賀県および長崎県の一部)では、17世紀に有田で磁器の焼成に成功すると、その周辺地域でも17世紀以降、磁器の生産がはじまります。それらは伊万里津から運ばれたため、消費地において「伊万里焼」と呼びならわされるようになります。

 志田焼は現在の佐賀県嬉野市塩田町志田で焼かれたやきもの。特に19世紀には染付の大皿を中心に焼造します。志田焼の染付大皿は、町屋や上層の農漁村民の屋敷など、庶民の中でも比較的裕福な層の住居跡を中心に広く出土しており、当時高級品であった有田産の伊万里焼とは購買層が異なることがわかっています。また、大皿だけでなく、中皿もいくつか出土しており、19世紀以降に流行した大皿料理を取り分ける際などに必要であったのでしょう。

 さて、本稿でこそ、「志田焼」としてご紹介している本作ですが、その箱書きには「藍今里瓢箪文皿五客」と記されており、「藍今里」、つまり有田周辺で作られた「染付の伊万里焼」として伝世したことがわかります。また、当館の過去の蔵品一覧でも19世紀の“染付伊万里”として登録されていました。つまり、19世紀に作られた染付の「伊万里焼」と認識されてきたうつわなのです。じつは、本作の様に「伊万里焼」のなかに紛れて伝世した志田焼の例は、当館で現在出展中の「染付 虎文 皿」(出展No.80)など他にも見られます。しかし、近年の塩田の発掘調査によって窯場が特定され、産地の特徴が確立したことで、有田産の伊万里焼と塩田産の磁器を分けることができるようになってきました。

 志田焼の特徴として①見込の白化粧、②墨弾きを用いた素朴な絵付け、③山水や吉祥の意匠をもちいた親しみやすさが挙げられます。本作は、見込の白化粧土が裏面口縁際にはみ出た様子から確認でき、さらに見込の伸びやかな文様の描き方や吉祥文様である瓢箪が描かれている点について、志田焼の特徴と合致します。さらに、口縁に施されている墨弾きによる瓢箪繋ぎ文は、これまでの研究によって、すでに志田焼と判定されているものの中に複数見られることから、本作も有田ではなく志田で作られたものであると判断しました。

新元号・令和という新たな時代のはじまりに、昭和・平成の研究によってその存在が知られるようになったやきものをご紹介させていただきました。 本作は今回が初出展となります。近年の研究の積み重ねによって見いだされたやきものを皆様お見逃しなく。ご来館をお待ち申し上げております。

(小西)


【参考文献】
『肥前地区古窯跡調査報告書 第8集 塩田町志田西山1号窯跡』佐賀県立九州陶磁文化館1991
小木一良・横粂均・青木克巳『伊万里 志田窯の染付皿―江戸後・末期の作風をみる―』里文出版 1994
『角川 日本陶磁大辞典』角川書店 2002
関和男『後期 伊万里 志田焼―大皿編―』JP美術クラブ 2004
鍋島朝倫・庭木信昌『図解 武雄・鹿島・嬉野・杵島・藤津の歴史』郷土出版社 2009
『横芝ギャラリー企画展図録 幻の青い皿』横芝光町教育委員会 2015


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