学芸の小部屋

2020年5月号
「第2回:色絵 菊唐草文 輪花皿・色絵 菊唐草文 皿―古陶磁の鑑賞―」

 瑞々しい木々の緑色が空に映える季節となりました。

 先月の学芸の小部屋では、鍋島焼の「色絵 菊唐草文 皿」を例に、古陶磁の鑑賞ポイントをご紹介いたしました。前回はひとつの作品から掘り下げていきましたが、今回はふたつの作品の対比によって、古陶磁を鑑賞していきたいと思います。



取り上げるのは「色絵 菊唐草文 輪花皿」(以下Aとします)と、「色絵 菊唐草文 皿」
 (以下B)の二点。それぞれの鑑賞ポイントの例は先月号に譲るとして、両者を比較した際の主な共通点・相違点は次のようにまとめられます。

《共通点》
  • 色絵の皿である。
  • 使用している絵具は染付の青、上絵の赤、黄、緑。
  • 染付による輪郭線を基本とする。
  • 見込中央を白く残し、口縁に沿って帯状に菊唐草文を描く構図。

《相違点》
  • Aは輪花形、Bは正円。
  • Aは口縁に縁銹を施す。
  • Aは裏文様として唐草文を一周させる。Bは折枝牡丹文を三方に配す。
  • Aは高台が大きく低い。Bは小さく高い高台に猪目繋文をめぐらす。


 共通点・相違点の中でとくに顕著であるのが、表面の構図の類似性と、裏面と高台の文様や形状の違い。以下、これらの点に注目しましょう。

 まず、表面の構図について、Aは見込に染付二重圏線を引き、中央と周縁を分離。中央は白く残し、周囲に菊唐草文を描きこんでいます。一方、Bには境界線は用いていません。しかし、主文様の菊唐草によって明確に中央と周縁を隔てています。細部には多少の相違は見られますが、いずれも、もとより中央を白く残すことを意識している中央白抜き構図として良いでしょう。

 続いて、裏面・高台文様について。Aは5つの如意頭文を伴う唐草文がめぐっています。この唐草文は、1670〜80年代の伊万里焼にしばしばみられるもの。対して、Bの裏面折枝牡丹文と高台猪目繋文の組み合わせは、1670〜90年代の鍋島焼に特徴的です。ここから、Aは有田で作られた伊万里焼、Bは伊万里・大川内山の鍋島焼であることが明らかです。伊万里焼は佐賀・有田で作られる国産磁器で、国内外に流通しました。対して、鍋島焼は肥前国佐賀地方を治めた佐賀鍋島藩が徳川将軍家への献上を目的に大川内山の藩窯にて焼かせたやきものです。表面の構図はよく似ていますが、裏面および高台から、二作品は17世紀後半という同じ時代に、異なる目的のために作られたやきものであると言えます。

 それでは、伊万里焼と鍋島焼という異なるやきものに、なぜ共通した構図の作例が生まれたのでしょうか。そのヒントとなるのが、元禄6年(1693)に二代佐賀鍋島藩主が有田皿山代官へ宛てた手頭(指示書)。それによると、鍋島焼のデザインが毎年同じ物で珍しくなくなってしまったので、有田でできた伊万里焼を見て、珍しい文様のものがあれば書付を取って差し出すように、とあります。この指示から、伊万里焼の中でも目新しく優れたデザインが、後に鍋島焼にも取り入れられたことがうかがえます。

 中央白抜きの構図は、17世紀の伊万里焼・鍋島焼では画期的なデザインでした。17世紀中期までの伊万里焼では、「染付 海老文 変形皿」のように文様を描いて結果的に中央部分が多少白く残ることはあっても、はじめから中央には描かない、という意識であらわされているものはほとんどありません。鍋島焼に関しても、早い段階では、「色絵 更紗文 皿」のようにむしろ見込を覆うような連続文様が中心でした。



 一般に流通する商品であった伊万里焼では、消費者に飽きられないよう、絶えず新しいデザインを投入する必要があります。その過程で、中央白抜き構図が登場しました。「珍しい文様」で、かつすっきりと清廉された印象が適していたのでしょう。鍋島焼に取り入れられて基本的なパターンのひとつとなり、「染付 唐花文 皿」や「染付 水車文 皿」のように次々と応用バージョンも作られ、中央部分はもはや単なる余白を超えて白い文様と呼べる域まで洗練されていきました。



 そして、鍋島焼はお上に献上するものですから、そこに使われたデザインは、一般市場向けの伊万里焼には使えなくなってしまいます。先の手頭にも、鍋島焼と同じものは有田で焼いて商売物として出してはならない、とあります。その結果でしょうか、17世紀後半より後の時代では、完全な中央白抜き構図の伊万里焼は見られなくなってしまいます。しかし、全く作らなくなってしまうにはあまりにも惜しいデザインだったのでしょう。18世紀以降、「染付 花唐草松竹梅文 輪花皿」や「染付 唐草松竹梅文 皿」のような口縁に沿って帯状に唐草文様を配するパターンが定番化しますが、これは中央白抜き構図の系譜を引いている可能性も考えられます。ただし、お決まりのように見込中央に五弁花や環状松竹梅文を入れることで、あくまで鍋島焼のデザインとは違うのだ、と主張しているように見えてなりません。



 17世紀後半に伊万里焼で生み出された中央白抜き構図は、その斬新さからすぐさま鍋島焼に取り入れられ、基本構図として定着・発展しました。一方、伊万里焼では完全な中央白抜き構図は控えられていきました。「色絵 菊唐草文 輪花皿」と「色絵 菊唐草文 皿」は、まさにその分岐点に位置する作品であったと言えるでしょう。このように、ふたつの作品を対比することによって、伊万里焼・鍋島焼それぞれのやきものの立ち位置や影響関係、そしてその後のあり方までが立体的に浮かび上がってくるのです。
(黒沢)


【参考文献】
佐賀県立九州陶磁文化館『柴田コレクション5 延宝様式の成立と展開』同1997
佐賀県立九州陶磁文化館『将軍家への献上 鍋島―日本磁器の最高峰―』同2006
矢部良明等編『角川日本陶磁大辞典 普及版』角川学芸出版2011

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