学芸の小部屋

2020年9月号
「第6回:色絵 花散らし文 稜花皿の伝来についての一考察」

 伝来とは、「代々受け継いでくること、外国から伝わってくること、渡来」(「大辞泉」電子版第2版)などの意味がある言葉です。今月の学芸の小部屋は今展初出展の「色絵 花散らし文 稜花皿」が当館に伝わるまでの道程を考察します。

色絵 花散らし文 稜花皿
伊万里(柿右衛門様式)
江戸時代(17世紀後半)
口径26.3㎝


 本作は、17世紀後半の海外輸出隆盛期に成立した柿右衛門様式の作例。純白の濁手素地に型を用いて稜花形とした皿です。見込には赤・黄・緑・青の上絵具で全面に桜のような小花を散らした洒落た意匠。素地、造形、絵付けに加え、縁銹を施している点からみても丁寧に作られたタイプです。
   濁手のものにしては大きめの25㎝を超える口径をもつことや、裏面に文様が描かれていないタイプであること、器形は若干異なりますが類似の文様のものが海外に収蔵されていること等から、日本国内向けのものではなく、海外輸出を視野にいれたものであると考えられます。さらに、当館に来る前は海外に所在していたことがわかっているため、本作は江戸時代に海外輸出向けに作られ、時を同じくして海を渡ったものと、そう思っておりました。しかし、昭和初期の売立目録掲載図版に掲載を確認したことを切掛にその仮説は崩れることとなります。

 画像が掲載されていたのは、昭和2年3月7日に東京美術倶楽部で行われた「故清野長太郎氏遺愛品林忠雄氏所蔵品入札」の売立目録。掲載画像と作品を比較すると、微細な文様のズレはあるものの、器形、小花の配置、個数が同一でした。
 そもそも、花散らしはキズ隠しとして用いられることが多い文様。文様の配置や数が厳密に決まっているような意匠ではありません。なお、本作にも、数カ所キズ隠しとみえる部分が確認できます。以上の文様の特性を踏まえると、本作と売立目録掲載作品は、同一品の可能性が非常に高いとみました。

 売立目録掲載のものが同一品ということは、本作は少なくとも昭和の初め頃まで、日本国内に伝わっていたと考えられます。「故清野長太郎氏遺愛品林忠雄氏所蔵品入札」は、清野家と林家両家の遺品売立。前者は明治・大正期の官僚である清野長太郎(1869~1926)の、後者は明治初期から中期にかけて活躍した骨董商である林忠正(1853~1906)の遺愛品を一緒にした入札会です。
 残念ながら売立目録原本を参照しても、本作がどちらの旧蔵品であったかまでは判別することができませんでした。何れにせよ、清野は高松藩士の家系の出身、林は富山藩大参事である従兄の養嗣子と、どちらも江戸時代から伊万里焼を所持していてもおかしくはない系譜と言えます。なお、柿右衛門様式の伊万里焼の里帰りブームは昭和30年代後半頃から50年代後半頃にかけてピークを迎えます。本作はそれ以前の昭和2年の売立であり、江戸時代に作られた本作は、国内で買い手がついたために輸出されずに日本国内にて伝世していたのではと推察します。
 では一体いつ、海外に渡ったのでしょう。結論から申しますと、記録が無いため判然としません。ただ、日本美術が海外で評価された流れは多少の手がかりにはなりそうです。
海外における日本美術の愛好は、明治以降の万国博覧会への出展を切掛として広がります。そうした時代の流行に乗った起立工商会社を皮切りに、日本の美術品や物産品を世界へ輸出する貿易会社が台頭していきました。特に日本の美術商社でもあった山中商会は、ロンドン・シカゴ・ニューヨーク・ボストンなどの複数の海外都市に支店を設け、多くの日本美術品を輸出販売したことで有名です。その販売品の中に、明治から大正、昭和初期などに盛んに行われた大名家や財閥などの売立品があっても不思議ではありません。第二次世界大戦中は国内外の美術品販売は一時期下火になったようですが、戦後も多くの美術品が国内外で取引されていたようです。
 昭和30年代後半頃からは、日本人が海外で日本美術を買い付け、多くの美術品が帰国しました。こうした一群を里帰り品と呼んでいますが、一口に里帰りといっても、その作品が一体いつ海を渡ったものなのか判断が難しい状況です。具体的には江戸時代の製作直後に渡ったものか、それ以降の明治、大正、昭和に貿易会社が販売したものか、第二次世界大戦後に渡ったものか等、様々な可能性が想像されます。

 以上を踏まえた上で、本作の伝来を考えると以下の様になります。
1.江戸時代(17世紀後半)に日本で作られる
2.いつ頃の所蔵かは判然としないものの、清野家ないしは林家に伝わる
3.昭和2年の売立目録に掲載され、所蔵元を離れる
4.時期は不明だが、少なくとも昭和2年以降に海外に渡る
5.令和に里帰りし、当館に収まる

本作は状態も非常に良いものです。江戸時代に作られたのち、様々な人の手を渡りながらも大切されたのでしょう。当館に伝来したご縁を噛みしめつつ、筆を置くことと致します。

(小西)



【参考文献】
『もくろく:故清野長太郎氏遺愛品林忠雄氏所蔵品入札:昭和二年三月五日六日兩日下見七日入札並開札』東京美術倶楽部1927( ※国立国会図書館デジタルコレクションに登録のものを参照/2020/8/26最終閲覧)
光芸出版編集部編『骨董価値考』光芸出版 1979
深川正『海を渡った古伊万里 美とロマンを求めて』主婦の友社1986
中島誠之助『古伊万里赤絵入門』平凡社2000
『美術商の百年―東京美術俱楽部百年史』株式会社東京美術俱楽部・東京美術商協同組合2006
九州産業大学柿右衛門様式陶芸研究センター編『柿右衛門様式研究―肥前磁器 売立目録と出土資料―』九州産業大学21世紀COEプログラム柿右衛門様式陶芸研究センター売立目録研究委員会2008
朽木ゆり子『ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商』新潮社2011

※本文中の売立目録データは、『もくろく:故清野長太郎氏遺愛品林忠雄氏所蔵品入札:昭和二年三月五日六日兩日下見七日入札並開札』東京美術倶楽部 1927( ※国立国会図書館デジタルコレクションに登録のものを参照/2020/8/26最終閲覧)および、九州産業大学柿右衛門様式陶芸研究センター編『柿右衛門様式研究―肥前磁器 売立目録と出土資料―』九州産業大学21世紀COEプログラム柿右衛門様式陶芸研究センター売立目録研究委員会2008を参照。

謝辞 本稿執筆にあたり、前坂晴天堂の前坂規之氏にご助言を賜りました。記して御礼申し上げます。


Copyright(c) Toguri Museum. All rights reserved.
※画像の無断転送、転写を禁止致します。
公益財団法人 戸栗美術館