学芸の小部屋

2021年6月号
「第3回:青磁 団龍文 硯屏」

 庭の紫陽花が見頃を迎え、梅雨の訪れも間近のようです。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 4月号より、展覧会『至福のうつわ―江戸の日々を彩った古伊万里―』にちなみ、江戸時代の暮らしの中の楽しみがうかがえる作品をご紹介してまいりました。今回は、文房具の一種である硯屏(けんびょう)を取り上げたいと思います。

 硯屏とは読んで字の如く硯の前に立てる衝立状の道具であり、風塵を防ぐとされています。素材は木や石、漆器、陶磁器など。古伊万里では、数は多くないものの、趣向を凝らした作例が残されています。



 「青磁 団龍文 硯屏」(図1)も、丁寧に作られたもののひとつ。正方形に近い衝立部分に円形の窓を設け、内に身体を丸めた格好の龍、すなわち団龍文を陽刻であらわしています。一枚の板状の粘土を型に押し当てて文様をつけたと考えられますが、片面の龍は玉を手にし、顔が上方に位置するのに対し、もう一面は顔が下方にあるなど、両面で文様が異なるのでそれぞれ型を用意したのでしょう(図2)。どちらも瞳や長い髭、たてがみの毛筋、鱗まで細かに表現しており、手間の掛けようがうかがえます。




 古伊万里青磁、とくに硯屏のように類品が少ない作例は年代の判定が難しいもの。しかし、以下を総合して考えると、本作は18世紀前半頃、遡るとしても17世紀末期以降の作であると推定されます。

 はじめに、伊万里焼では龍文は17世紀中期までには登場しますが、団龍文があらわれるのは17世紀後半から。その後、江戸時代を通じて定番文様のひとつになりますが、表現は次第に崩れていく傾向があります。本作の団龍文は陽刻によるものでありながら、17世紀後半、あるいは17世紀末期から18世紀初頭にかけての優品に見られる、筆描による団龍文にも引けを取りません(図3)。年代的にそれほど離れないことが推測されます。



 続いて、台部分に注目しましょう。古伊万里青磁では、17世紀中期から後半にかけて足付きの皿鉢類の蛇の目高台には鉄漿(てっしょう)を施すことが一般的。その頃の青磁硯屏にも底面に塗っている作例がありますが、本作では使用・保管時のくすみの下に、鉄漿は確認できませんでした(図4)。また、青磁釉の色合いも17世紀中期頃の濃厚な趣、あるいは17世紀後半の深みのある青緑色と比べて澄んだ爽やかな色合いであることから、17世紀後半からは時代が下ると考えられます。



 以上から製作年代を推測しましたが、18世紀以降というのは、社会的な背景として硯屏の需要の高まりが想像される時代でもあります。ここで、硯屏を中心に文房具の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

 まず、文房具の歴史を探る上で欠かせないのが中国における動向。中国では文房は「書斎」を意味し、そこで文字を書くために欠かせない筆・硯・墨・紙は合わせて「文房四宝」と呼ばれます。文房具を重んじる風潮は漢時代まで遡ると言われ、宋時代には文房に関する書物がまとめられるようになりました。硯屏に関しては、南宋時代の成立とされる『洞天清禄集』(趙希鵠)に、石や玉を材料としたもののほか、画屏と言って小さな名画を嵌め込んだものが紹介されています。加えて、硯屏は昔は無く、東坡(蘇軾/1037〜1101)や山谷(黄庭堅/1045〜1105)の頃からはじめて作り出された、ともあります。

 そして、異民族王朝の元時代の低調期を経て、明時代になると再び文房具熱が盛り上がります。この時代には、漆器のほか、龍泉窯青磁にも硯屏の作例を見ることができるようになります。

 さて、当時の日本では中国との交易が盛んに行われ、唐物(中国からの渡来品)を珍重する風潮が広まっていました。室町時代後期には、会所(広間)における唐物を主とした壮重な座敷飾りが定式化されたと言い、文房具は礼器としての意味合いを持つようになります。唐物の鑑定と座敷飾りに関する伝書である『君台観左右帳記』にも、書院飾りとして筆や水入などとともに硯屏が並べられた様子が確認できます。

 このような座敷飾りの礼式は江戸時代に入っても続きますが、一方で18世紀に入ると日本においても文人趣味が流行の兆しを見せます。背景としては、江戸幕府による儒教奨励や中国との交易、黄檗僧の活躍などによって、思想や書物、画譜、絵画、煎茶の喫茶など中国の文物や風習が流入したことが指摘されています。こうして、日本人の中にも、自らの文房を希求し、道具を収集する者があらわれました。なお、彼らはあくまでプライベートな空間を文房としており、書院というフォーマルな空間を飾る重厚な文房とは異なり、好みは清澄であったとされます。

 今回ご紹介しました「青磁 団龍文 硯屏」は、高さ17cmと硯屏としては小振りの部類で、釉色も清爽である様子から、座敷飾りを志向したというよりは、18世紀以降の日本における文人趣味の高まりを受けて製作されたものでしょう。文人趣味においては、道具の量ではなく質や好みを重視すると言います。厳選した道具をあれこれと組み合わせて自らの美意識にあった文房を形成し、そこで書き物をしたり、茶を入れたり、友と語らったり。心豊かな暮らしぶりが偲ばれます。

(黒沢)



(註)中国における文人とは、余技として詩文書画に興じる科挙官僚を指す。彼らは文房(書斎)にあって、清遊のひと時を過ごした。

【主要参考文献】
パトリシア・J・グラハム「江戸時代における煎茶美術と中国文人趣味」『日本美術の水脈』ぺりかん社1993
垣内光次郎「文房具」『季刊考古学』97雄山閣2006-11
佃一輝「煎茶の文房清玩」『陶説』715日本陶磁協会2012
中田勇次郎『文房清玩』二玄社1961
吉沢忠「南画」『原色日本の美術 第18巻 南画と写生画』小学館1969
主婦の友社『現代煎茶道事典』同1981
国立歴史民俗博物館『陶磁器の文化史』歴史民俗博物館振興会1998
愛知県陶磁資料館『煎茶とやきもの―江戸・明治の中国趣味―』同2000
小松大秀執筆・編集『日本の美術424 文房具』至文堂2001
大阪市立東洋陶磁美術館『文房四宝―清閑なる時を求めて』同2019


Copyright(c) Toguri Museum. All rights reserved.
※画像の無断転送、転写を禁止致します。
公益財団法人 戸栗美術館