学芸の小部屋

2021年7月号
「第4回:蕎麦猪口」

 梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて、当館では現在『古伊万里の重さを見る展覧会』を開催しております。しばしば「重い手取り」や「薄造り」などの説明を見かけるものの、一体全体、具体的に重さは何gあるのか――。そんな疑問にお答えする本展にちなみ、今回の学芸の小部屋ではいわゆる「蕎麦猪口」の重さと器形、その成立の背景をご紹介してまいります。

 「蕎麦猪口」は現代でも馴染みの深いうつわのひとつ。筒形の容器で片手でも持ちやすく、蕎麦などの汁入れにはもちろん、おかずを入れたりお酒を注いだりと、使い勝手の良さは言うまでもありません。



 いわゆる「蕎麦猪口」が成立したのは江戸時代のことで、祖形は17世紀後半に現れるとされます。この時期には、六角形や八角形、口部が大きく開くものなど様々な器形のものが作られました。底部に銘款を入れることもありますが、内面を無文とするのはこの時代の作例によく見られる特徴です。
 その後、17世紀末期から18世紀初頭には、口径に対する底径がやや大きくなり、筒形に近づきます。図1の①-a・bはこの時期の作例ですが、①-aは口径の大きな器形や内面無文など前時代の様相を残しているタイプ、①-bは見込の五弁花文や立ち上がりの強い器形が新しく出てきた特徴をよく示しているタイプであると言えるでしょう。当時、こうした器形のうつわは大小存在し、江戸時代の百科事典のひとつ、寺島良安『和漢三才図会』(1712年自序)第31巻の「盞」の項によれば、冷飲に用いたり、和え物および塩辛などを盛ったりしていたようです。なお、江戸時代には「蕎麦猪口」の呼称の例は無いとされ、これらは単に「猪口」あるいは「大猪口」と呼ばれたようです。

 18世紀中期に入ると、図1の②のようにすとんとした筒形の、現代でも見慣れた器形が登場。見込に環状松竹梅文や五弁花文などを配し、内面口縁下には四方襷文をめぐらせる作例がよく見られます。底部は幅広に削り込んだ蛇の目凹形高台が定番化しました。




 さて、今回ご紹介している作品は、いずれも口径8.0cm程度、高さ6.0cm前後のものを選んでいます。しかし、ほぼ同じサイズであるにも関わらず、計量したところ73.9g、81.1g、155.8gと、17世紀末期から18世紀初頭の①-a・bと、18世紀後半の②とで、大きく差がつく結果となりました。この理由を探るため、それぞれを計測して実測図を示しました(図2)。中心線の左側に外面、右側に断面をあらわしていますが、こちらをご覧いただくと①-a・bと②では、とくに側壁の厚みに違いがあることが見えてきます。佐賀・有田という同じ場所で作られたものですので、原材料の点では大きな違いは無いと考えられ、重さの違いは厚さおよび底面積の違いと推定されます。

 伊万里焼は17世紀初頭に日本初の国産磁器として誕生し、当初は武家や公家など上流階級向けの高級品でした。17世紀半ばに海外輸出がはじまり、17世紀後半にはヨーロッパからの厳しい注文に応えて技術が高められます。この時代に見られるのが、轆轤挽き(ろくろびき)の後、器壁を薄くするように丁寧に削り出して仕上げた優品。薄造りにするには相応の技術、そして手間を要しますが、①-a・bの作品も薄く、精緻に作られています。

 対して、17世紀末期に経済力をつけた商人達が需要者として加わると、18世紀以降伊万里焼は町人層にまで徐々に普及し量産体制が求められるようになります。背景のひとつには、18世紀後半以降の料理文化の発展による磁器の需要増大が挙げられるでしょう。「蕎麦猪口」に関して言えば、蕎麦切りの流行によって汁入れとして転用されたようです。十返舎一九『金草鞋』の挿絵にも、せいろを前に「蕎麦猪口」形の容器を手に食事をする男性が描かれています。また、浮世絵にはしばしば刺身の盛られた大皿の脇に「蕎麦猪口」が添えられる様子が見受けられ、蕎麦用の汁入れだけでなく、調味料入れなどとしても幅広い活躍ぶりがうかがえます。こうした需要の増大を受け、よりたくさん、効率良く焼造できるものとして、②のような器形が定着したと考えられます。



 以上、お馴染みの「蕎麦猪口」が確立するまでの段階をご紹介してまいりました。伊万里焼では薄造りなほど技術が必要で高級品扱いになりますが、便利な日常器として普及した「蕎麦猪口」は厚ぼったいくらいが丁度良いもの。もちろんそれで親しんでいるからという理由もあるでしょうが、厚みの分だけ丈夫、口当たりもまろやかで、使ったり洗ったりするのに妙な緊張感がありません。伊万里焼の重さには、そのうつわの位置づけや使い勝手に対するバランスがあるように思います。

(黒沢)



【参考文献】
・大橋康二監修『別冊太陽 骨董をたのしむ18 染付の粋』平凡社1997
・中島由美責任編集『古伊万里 蕎麦猪口・酒器1000』講談社2001
・原田信男編『日本ビジュアル生活史 江戸の料理と食生活』小学館2004
・大橋康二監修・執筆『年代別 蕎麦猪口大事典』講談社2009
・大橋康二監修・執筆『文様別 そば猪口図鑑』青幻舎2011
・有田町歴史民俗資料館『有田町歴史民俗資料館東館・有田焼参考館 展示ガイドブック』有田町教育委員会2013


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