学芸の小部屋
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2017年3月号

「第12回:伊万里焼誕生30年」


 梅の花もほころびはじめ、少しずつ春の訪れを実感でき るようになりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 さて今回の「学芸の小部屋」では「色絵 葡萄鳥文 輪花皿」(画像①)を取り上げます。ぱっと目に飛び込んでくる緑、青、黄、赤。白い素地上に施された濃厚な色彩に惹き付けられる作品です。細部に注目すると、線描きには黒、枝には紫が使われていることもわかります(画像②)。伊万里焼において、これらの鮮やかな色が施されるようになったのは、誕生から約30年を経た1640年代のことと考えられています。当館も今年で開館30周年を迎えますが、伊万里焼における最初の30年はどのような時代であったのでしょうか。

 1580年代、肥前地域(現在の佐賀県および長崎県の一部)に陶器窯が誕生した頃、伊万里焼のふるさと・有田(佐賀県西松浦郡)はどちらかと言えば周縁にあたる窯業地帯で、陶器製の日常雑器を焼いていました。しかし有田の西側地域では1610年代、陶器を焼いていた同じ窯で日本初の国産磁器、伊万里焼を焼くことに成功。その後、有田の東側地域の泉山にて、磁器の原料となる陶石が発見されたこともあり、有田は一躍、肥前窯業の中心地へと変貌していきます。
 この地域を領有した佐賀鍋島藩も、有田の持つ可能性に触発されたのか、1637年には複数あった窯場を整理・統合する指令を発します。その結果、陶器製の日常雑器と磁器の両方を焼いた西側地域の窯が廃止となり、より泉山に近い、東側地域を中心とした磁器専業の窯が残りました。同時に陶工826人を追放しますが、 これによって腕の良 い陶工だけが窯業を続けることを許されたと推測されています。当時の運上銀(税金)の記録を見ても1637年にはおよそ銀2貫目であったところ、1642年には銀20貫目、1648年にはおよそ銀78貫目を達成するなど急増しており、産業として成長した様子がうかがえます。

 このような飛躍の要因としては、佐賀鍋島藩の施策だけではなく、技術の大幅な向上もあったと考えられます。誕生間もない頃、朝鮮半島の技術をベースにつくられていた初期伊万里は、厚手の素地や青味がかった釉薬、裏は無文で小さな高台がつくという特徴がありました。しかし1644年、やきもの大国である中国において王朝が明から清へと移る際、混乱の中で製陶技術が流出したと言われ、その影響で有田でも技術革新が起こり、初期伊万里のスタイルから変化が生じます。具体的には、当時の朝鮮半島になく中国にはあった色絵製品を作る技術、上絵付けが始まり、その他にも中国式のスタイルを取り入れ、より薄く白い素地作りや、より径の大きな高台とその内に銘を記すことが一般化していきました。

 17世紀中頃の作である「色絵 葡萄鳥文 輪花皿」にも、このような新しい技術が取り入れられています。画面の左から踊るように伸びる葡萄の枝、そこに留まる目にも鮮やかな一羽の鳥の濃艶な色遣いは染付を用いず、すべて上絵付けで施されています。また口径34.5cmの大皿ですが、同寸の初期伊万里の大皿に比べて手取りは軽く、薄造りです。裏にも高台にもそれぞれ花唐草文、雷文をめぐらせますが、これらも17世紀中頃に現れる特徴です(画像③④)。高台径は口縁に対し2分の1以上と大きく、高台内には銘が入れられました。うつわの形は初期伊万里の時代には見られない型打ち成形によるもので、丁寧に折り返した口縁に縁銹を施している点、花弁の枚数が19枚である点は本作特有の特徴として挙げられます。とくに花弁の枚数は、同時代の製品は偶数枚が主流である中大変珍しく、器形、意匠、鮮やかな絵付けからみて、17世紀中頃の特筆すべき優品であると言えるでしょう。

 本作を手にした当館創設者 戸栗亨も、次のように思い出を書き残しています。「『古九谷』(筆者註)のコレクターが、その中の名品というのを譲ってくれたが、『大変な名品だから人に見せるな』という。(中略)一番いい座敷の客用布団の中に箱ごと隠しておいた。時々、雨戸まで閉めて家内とこっそり見るんだが、ある時など、電気まで消してしまって『これじゃ見えないじゃないか』なんて大笑いしたこともありましたっけ」(『にっけいあーと』1991-2,p309)。その後、1987年には創設者の長年の夢であった当館が開館し、「色絵 葡萄鳥文 輪花皿」は当館を代表する優品として皆様にご覧いただいております。その美しさもさることながら、誕生期から約30年間の伊万里焼の技術向上の結晶ともいえる本作は、江戸時代の陶工たちの努力の軌跡を伝えてくれます。

 技術革新を経て質を向上させ、誕生から400年を経てもいまなお愛され続ける伊万里焼のように、戸栗美術館もより一層努力を重ね、伊万里焼をはじめとした貴重な陶磁器を後世に残し、今後もその魅力をお伝えしていきたいと思います。当館では、来月1日から『開館30周年記念特別展 柿右衛門展』を開催いたします。1640年代に技術革新を迎えた後、次の30年の間には、伊万里焼は海外に輸出される時代に入り、アジア方面のみならず、喜望峰を回ったその先の、ヨーロッパの王侯貴族の館に迎えられていきました。そして1670年代により技術が極められて誕生したのが柿右衛門様式です。美しい乳白色の素地、濁手(にごしで)に明るい赤を多用した繊細優美な絵付けを施した柿右衛門様式の伊万里焼は、当時の人々の目を楽しませただけでなく、現在も私たちの心を惹きつけてやみません。同展では、その濁手と色絵の技術を現代に伝える15代酒井田柿右衛門氏の新作をお披露目するとともに、歴代柿右衛門氏の作品や江戸時代の柿右衛門様式の作品、あわせて約80点を展観いたします。お見逃しのないよう、是非ご覧くださいませ。皆様のご来館を職員一同、心よりお待ち申し上げております。
(黒沢 愛)


(註)古九谷:「色絵 葡萄鳥文 輪花皿」など17世紀中期の色絵磁器は、かつて加賀・九谷で焼かれたものと考えられ、「古九谷」の名で呼ばれていました。しかし肥前・有田の発掘調査や伝世品の調査から、現在ではこれらの色絵磁器は肥前・有田でつくられた伊万里焼の一様式であると考えられるようになっています。

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