色絵 石畳蔓草文 皿  伊万里
江戸時代(17世紀末~18世紀初) 口径22.6㎝
戸栗美術館所蔵

 今回は、『戸栗美術館名品展I―伊万里・鍋島―』から「色絵 石畳蔓草文 皿」をご紹介します。  本作は、17世紀末から18世紀初頭にかけて作られたものと思われます。皿を上下に区切るように絵付けがされていて、見込み上方には蔓草が、下方には石畳文が配置されています。今回は、上方と下方に分け、それぞれの特徴についてご紹介します。
 まず、見込み上方についてです。右側には染付で蔓草文が描かれています。染付というのは、白色の胎土(陶磁器の成形に適するように調整された粘土)で成形した素地の上に、酸化コバルトを発色の主成分とした絵具で絵付けし、その上に透明釉(とうめいゆう)をかけて高温焼成する技法のことをいい、それを使用した陶磁器を指します。焼成することで、綺麗な藍青色の文様をあらわすのが特徴です。本作の蔓草文の太い蔓や葉は、濃 (だみ)という絵付けの技法を使って描かれています。濃とは、素地に絵付けの輪郭線を施し、その中を太い濃筆に呉須顔料を含ませて塗る作業のことをいいます。水の量の調整や、重ね塗りをすることで、色の濃淡を表現することができます。さらに、左側には大きく余白がとられていて、柿右衛門様式でよく見られる構図です。
 さて、ここで柿右衛門様式についてご説明しましょう。柿右衛門様式とは、17世紀後半に成立した色絵様式です。その典型作というのは、乳白色の素地(濁手/にごしで)に左右非対称の構図を用い、花や鳥、人物などのモチーフを描くことで美しい白の余白を生かすのが特徴です。濁手は、その純白の色を得るために、素地や釉薬の原料から不純物を取り除き、丹念に精製するというのが基本です。また、色絵の柿右衛門様式では、赤・青・緑・黄・金・紫の上絵で細密な線描が描かれます。ただし同時代には、濁手ではない柿右衛門様式も多く焼成され、色絵と染付が併用されたものや、余白を生かす左右非対称の構図をとる染付の作品も見られます。
 染付の手法については先に述べたとおりですが、青色を美しく発色させるためには、上にかかる釉薬に厚みを持たせなければなりません。けれど、その上にかけるガラス質の釉薬は、厚くするほど青みがかかってしまうという性質があるため、濁手の純白を損なってしまうとされ、濁手の素地に染付は用いられず、青を表現する場合は、上絵で描かれていました。上絵の青の鮮やかな発色は、ぱっと見たときに目を引きますが、本作では、染付ならではの柔らかく繊細な味わい深さを感じられます。
 次に見込み下方についてです。本作は、石畳といわれる、四角形を密に並べた文様で埋め尽されています。石畳部分をよく見ると、それぞれの区画に幾何学文様が描かれています。七宝繋ぎ(しっぽうつなぎ)、四方襷(よもだすき)、雷文(らいもん)など、様々な文様が敷き詰められ、枠内に同じ文様が繰り返し描かれるものと、上下左右に異なる文様を描いているものがあります。
 石畳文様は、四角形を敷き詰めた文様を言いますが、とくに江戸時代に舞台衣装として着用された2色の石畳文様は、「市松模様」という呼び名で広まりました。こちらの方が馴染みのある方も多いのではないでしょうか。この文様は、途切れることなく続く様子から「永遠」や「繁栄」という意味がこめられ、縁起の良い文様として捉えられています。七宝繋ぎや四方襷もまた同様に、「繁栄」という意味をもち、縁起物とされています。次々と直線が曲折する雷文は、田畑を潤す雷雨を表すことから、「豊作」の象徴とされています。
 色や文様に注目してみると、染付の青、上絵の赤・金の色が使われていること、同じ文様が反復して使われていることがわかります。これは古伊万里金襴手様式に見られる特徴です。
 古伊万里金襴手様式とは、金泥や金箔などで豪華絢爛な文様を表す色絵様式のことを言います。左右対称の構図と反復文様を多用するのが特徴です。金彩を使用する豪華な配色が織物の金襴と似ていることから、このように名づけられました。本作が作られた、17世紀末から18世紀初頭にかけての江戸時代元禄年間(1688~1704)は、好景気を迎えたことで贅沢を好む風潮があり、豪奢な器物を求められたことから赤と金の豪華な古伊万里金襴手様式のうつわが人気を博しました。
 以上のように、本作は柿右衛門様式と古伊万里金襴手様式の2つの様式の、それぞれの良い特徴を合わせ持っていることがわかります。これは、17世紀末から18世紀初頭にかけて、柿右衛門様式から古伊万里金襴手様式への過渡期の時代に作られた作品ならではの特徴といえるでしょう。

(神奈川大学 能登谷)