色絵 人形(若衆)
伊万里
江戸時代(18世紀前半)
高32.3㎝
戸栗美術館所蔵


 今回は、現在開催されております『古伊万里の重さを見る展覧会』から「色絵 人形(若衆)」をご紹介いたします。本展には今回この作品を含む伊万里人形の作品が6点展示されていますが、どれも惹きつけられるような魅力的な表情で、愛らしさと親近感を持ち合わせています。その中でもこの「色絵 人形(若衆)」は18世紀前半に作られた伊万里人形で、前髪を残し、中剃りをして若衆髷(わかしゅわげ)に結った元服前の童男像です。小袖に花筏文(はないかだもん)、羽織に牡丹唐草文を表しています。髪は光の角度によっては黒色に見えないことがありますが、それは髪の黒色顔料の剥落を防ぐために上から紫が重ねられているためです。若衆の顔は、一際強い目力で目線は下の方に向き、正面から見ると黒目は少し真ん中に寄っているように見えます。口元は強く結ばれ、への字になっており、不機嫌な表情にも、凛々しい表情にも見えます。そして立ち姿には、誇らしさのような堂々とした印象も受けますが、よく見ていくと、ふっくらとした輪郭の表現やその表情からも、あどけなさが感じられ、元服前の童男が少し大人びようとしている表情や姿にも見えてきます。まさしくそこに人間らしさが感じられます。

 そして注目していただきたい点がもう一点、胸元にそっと添えられている左手です。本展覧会にも出品されております、17世紀後半に作られた「色絵 婦人像」と比較してみると明らかに、若衆人形の指は短く、厚みを感じられる小さな手をしていることがわかります。もちろんモデルとなっている対象が、江戸時代の太夫(遊女)と、元服前の童男であるから比較のしようはありませんが、実は伊万里人形は時代が下るにつれて頭部が大きく、指先などの細部が太くなる傾向が見られるのも事実なのです。



 磁器人形を始めとした柿右衛門様式の伊万里焼の色絵磁器は、当初は景徳鎮窯の中国磁器の代替品としてヨーロッパに輸出されていましたが、17世紀の後半にはオランダによる数万点に及ぶ大量注文によって本格的な海外進出が幕明けし、王侯貴族などに高い人気を博していました。

 しかし、1684年に貿易禁止令を解除した中国とイギリス東インド会社が直接取引するようになり、伊万里焼の流通が著しく減少していきました。それまでヨーロッパで人気を博していた柿右衛門様式ですが、濁手(にごしで)の素地作りの困難さも起因して価格は安くなく、高価な伊万里色絵は徐々に敬遠されるようになってしまいました。そんな中で伊万里焼も量産方向へとシフトチェンジを試みました。一例として、本作の指先の細部が挙げられます。また本作と同時代に作られた、本展展示作品「色絵 人形(町衆)」の小さい右手は指がほとんど作りこまれていないことからも、18世紀前半の作品には17世紀前半の作品に比べて、指先などの細部がおおまかになる傾向が見られます。

 ここまで時代の変遷による伊万里人形の変化をご紹介してきましたが、最後に伊万里人形のもつ魅力についてお話しいたします。伊万里人形は、皿・鉢類のような典型的な濁手ではなく、板作りの作品によく似た粘りのある、やや鉄分の多い素地を型に押し込んで作られていて、顔や姿が同様の人形が多数存在していたと考えられます。しかし、上絵付の際の眉、眼、口の描き様で各々微妙に表情が異なることや、着物の文様の多様さによってそれぞれに個性が生まれるため、全く同じ作品は一つとして存在しないと言えるのです。 17世紀後半につくられた婦人像は後の美人意匠の先駆けともいわれていて、当時の究極の美人をモデルとした、美しい立ち姿や細く長い指先、まとう着物の多様さや豊かな頬からつづく顎の輪郭は、どの視角からも優雅で艶麗に映えており、そこには造形の厳しさと繊細さが見受けられます。一方で18世紀前半の作品には、おおらかさと寛容さが見受けられ、婦人像とは対照的にふとした表情や仕草に人間らしさと、どこかで見たことあるような親近感さえ感じます。今回ご紹介した人形をはじめ、本展での伊万里人形たちのどこか滑稽で愛らしい表情とその人間らしい姿、そして美しく描かれた着物の紋様や丁寧に作られた細部の見事さとの対比にも注目していただけたらと思います。

(埼玉大学 廣原)



【参考文献】
・佐賀県立九州陶磁文化館編『平成11年度特別企画展 柿右衛門−その様式の全容−』佐賀県立芸術文化育成基金1999
・大橋康二・鈴田由紀夫・古橋千明編『柿右衛門様式磁器調査報告書−欧州篇』九州産業大学 柿右衛門様式陶芸研究センター2009
・サントリー美術館ほか編『IMARI/伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器』読売新聞大阪本社2014
・森由美『ジャパノロジー・コレクション 古伊万里 IMARI』KADOKAWA2015