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初期伊万里展
会期:2015年4月4日(土)~6月21日(日)



染付 竹蝶文 鉢 伊万里
染付 竹蝶文 鉢 伊万里
江戸時代(17世紀前期)
口径46.5㎝

染付 吹墨白兎文 皿 伊万里
染付 吹墨白兎文 皿
伊万里
江戸時代(17世紀前期)
口径21.0㎝
染付 山水文 水指 伊万里
染付 山水文 水指
伊万里
江戸時代(17世紀前期)
通高15.7㎝
白磁 面取壺 伊万里
白磁 面取壺 伊万里
江戸時代(17世紀前期)
高19.3㎝



展覧会概要


 17世紀初頭、佐賀・有田地域において日本初の国産磁器として誕生した伊万里焼。その創始は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592-98)の際に連れ帰られた朝鮮人陶工伝来の製磁技術にあると考えられています。1610年代から色絵の登場する1640年代までに生産された製品は「初期伊万里」と呼ばれ、形の歪み、フリモノの付着や窯キズ、素地や染付の不安定な発色などの特徴に、草創期らしい技術の未熟さが表れています。また装飾の面では、当時国内で需要の高かった中国磁器に倣い、早期から染付技法が用いられ、描かれた意匠にもその影響が見受けられます。

 当初磁器(伊万里焼)は、陶器(唐津焼)と同窯で焼成されていましたが、寛永14(1637)年の佐賀鍋島藩による窯場整理・統合政策後、磁器中心の生産体制が確立されました。この政策以降、技術の向上により、皿や瓶類に加えて口径40㎝を超える鉢などの大作も製造されるようになったと考えられています。

 今展では、初期伊万里約80点と窯跡出土陶片をあわせて展示し、磁器の誕生からその品質向上に注力した17世紀前半の伊万里焼の様相をご紹介致します。

展示詳細


◆伊万里焼の創始

 伊万里焼の創始は、1610年代、日本へ連れ帰られた朝鮮人陶工たちによって有田・泉山で磁器の原料となる陶石が発見されたことから始まり、当初は陶器(唐津焼)と同じ窯で磁器(伊万里焼)を焼成していました。草創期の窯は現在の有田町西部にあり、小溝窯などからは朝鮮の窯詰め法である「砂目積み」を用いた陶片も出土。朝鮮伝来の製磁技術から伊万里焼の製造が始まったことがわかります。しかし当時日本国内で求められたのは、艶やかな白い器面に青い文様を描いた中国磁器。伊万里焼では早期から中国磁器の技術に倣い、呉須を顔料として絵付けを施した染付磁器が製造されました。
 草創期にあたる1610年代から1640年代に製造されたものは「初期伊万里」に分類され、歪んだ形や全体に灰味がかった発色、器面のフリモノやキズ、貫入など、この時期特有の様々な特徴が表れています。それらは原料の精製不足、焼成不足など、技術の未熟さがもたらしたものであり、初めての磁器製造に対し陶工たちが試行錯誤して取り組んだ様子がうかがえます。

◆初期伊万里の華 ― 大鉢 ―

 寛永7(1637)年、佐賀鍋島藩は窯焚き用の薪材確保のために山林が切り荒らされているとして、伊万里・有田地域の陶工・窯場を削減する政策を実施します。結果、日本人陶工826名が追放され、窯場は13ヶ所に統合。これにより磁器(伊万里焼)専業の生産体制が整うこととなりました。初期伊万里の華とも言える口径40㎝を超える鉢などの大作は、この政策以降に製造されたものと考えられています。
 皿や瓶などの器種と同様、全体に灰味がかった発色やフリモノ、貫入などが見られます。初期伊万里では総じて高台は小さくつくられていますが、特に大鉢では口径の3分の1~4分の1程度しかなく、焼成時に大きく形が歪んでしまった例もあります。

◆様々な装飾技法 ― 白磁・青磁・銹・瑠璃 ―

 初期伊万里の中心となるのは、中国磁器に倣った白磁に青で文様を描いた染付製品ですが、そのほかに文様を描かず透明釉のみをかける白磁(右図)、釉薬に1~2%の鉄分を加えることで淡い青色に発色する青磁、鉄分を10%程度含んだ銹釉、染付同様に顔料の呉須を透明釉に混ぜた瑠璃釉などの製品も見られます。また、それらを併用して複雑に塗り分けたものも製造されました。



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  『初期伊万里展』プレスリリース
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