学芸の小部屋

2009年6月号

「猩々(しょうじょう)の酒瓶」

 湿気の多い季節、美術館の庭も雨に濡れて緑が濃くなってまいりました。皆様にはご健勝でお過ごしでしょうか。

 現在開催中の「柿右衛門展—ヨーロッパを魅了した東洋の華—」では、柿右衛門様式ではないけれども、その成立を支えた技術として白磁と金銀彩にも触れています。「瑠璃釉金銀彩 猩々文 瓶(るりゆうきんぎんさい しょうじょうもん びん)」〈下の写真参照〉もその一つ。高さは26.7?、筒形で安定感の良い瓶です。瑠璃釉はその名の通り瑠璃色の釉薬で、17世紀半ばに盛んに使われました。一方、金銀彩は酒井田柿右衛門家に伝わる古文書「覚(おぼえ)」(通称「赤絵始まりの覚」)に初代柿右衛門が金銀彩を創始した、ということが記されており、やはり17世紀半ばに成立した技法です。銀は時間が経つと黒く変色してしまうために短い間しか使われていませんが、金はその後も長く使われ、柿右衛門様式の作品にもしばしば見られます。この2つの技法を併用すると、瑠璃色に金銀が映えて美しいのです。写真の瓶も17世紀中葉に作られたもので、肩の部分に銀彩で唐草文が、側面には金彩で唐草文と花鳥文、そして主文様である猩々文が描かれています。


「瑠璃釉金銀彩 猩々文 瓶」
中央右下に金彩で
猩々文が描かれている

〈猩々文の部分拡大〉
中央右下に金彩で
猩々文が描かれている


 猩々というのは、この絵では人間のような姿をしていますが、実は人間ではありません。中国の伝説に登場する海に住む酒好きの霊獣で、前にある壺には酒が入っていてそれを柄杓で汲もうとしている場面です。日本でも知られた伝説としては、室町時代に祝福の能「猩々」に仕立てられたものがあります。高風(こうふう)という親孝行な人物が、夢の告げに従って酒を商うと繁盛して次第に富貴になります。その店にいつも来る客がどうも普通の人ではなさそうので何者なのか尋ねると、「海中に住む猩々である」と答えたので、ある夜、高風は酒を用意して海岸に行きます。すると猩々が現れて酒を飲み、酒を讃える舞を舞って、高風に汲んでも汲んでも尽きない不思議な酒壺を授けるという物語です。お能というと難しそうだ、敷居が高いと感じる方も多いようですが、この曲は「老いせぬや、薬の名をも菊の水、盃も浮かみ出でて友に会うぞ嬉しき…」という、酒を用意してくれた高風の前に猩々が出現する場面、「酔いに臥したる枕の夢の、醒むると思えば泉はそのまま、尽きせぬ宿こそめでたけれ」の終曲部分、どこをとっても明るくめでたい曲なのです。猩々が海上で酔い戯れる様子を表現する「猩々乱(しょうじょうみだれ)」や猩々が大勢登場する「大瓶猩々(たいへいしょうじょう)」などバリエーションも多く、祝宴の余興にも謡われ、江戸時代には歌舞伎や長唄など様々な芸能に編曲されている人気曲ですから、画題としてもよく知られたものでした。この瓶に酒を入れて祝いの宴席に出せば、さぞ喜ばれたことでしょう。

 当館には3軒お隣の観世能楽堂さんからいらっしゃるお客様も多いので、今回はお能にゆかりのある作品をご紹介しました。6月28日まで、第1展示室に出展しています。お能をご覧になったことがある方もそうでない方も、この大きな酒壺を前にして楽しげな猩々に、会いに来てください。

(松田)
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