学芸の小部屋

2009年11月号

「赤・紅・朱・緋・・・」

戸栗美術館の庭も赤く色づいてまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は、紅葉にちなんで、景徳鎮窯の赤いやきものに注目したいと思います。


図1 桃花紅 団龍文 太白尊
景徳鎮窯
清時代 康煕年間
(1662~1722)
高 9.1cm

図2 釉裏紅 菊唐草文 玉壺春瓶
景徳鎮窯
明時代 洪武年間
(1368~1398)
高: 32.2cm



図3 黄地紅彩 雲龍文 壺
景徳鎮窯
明時代 嘉靖年間
(1522~1566)
高: 13.7cm

図4 粉彩 人物文 盤
景徳鎮窯
清時代 雍正煕年間
(1723~1735)
口径 20.8cm


 中国の長いやきものの歴史の中で、越窯の秘色青磁をはじめ、柴窯の雨過天青、宋代の耀州窯のオリーブグリーン、龍泉窯の砧青磁、南宋官窯の黒胎青磁など、最も研究され、さまざまな色調が作り出されたのは青磁です。
 しかし、清朝になって次々に新たな色調の釉薬が開発された単色釉磁では、青磁だけでなく赤色の釉薬にも力が入れられたと見られ、現在開催中の「鍋島と景徳鎮展」出展中の桃花紅(図1 とうかこう)をはじめとして、宣徳年間の紅釉を再現した鮮紅(宝石紅、祭紅、積紅(せっこう)、霽紅(せいこう)などの異称も)、康煕年間の郎窯で開発された牛血紅や火焔紅などさまざまな表情をみせる赤い釉薬があります。
 桃花紅は、清時代・康煕年間に作り出され、その色合いが桃の花にたとえられて欧米ではピーチ・ブルームと呼ばれました。中国ではササゲ豆の色に似ているため、_豆紅(こうとうこう)といいますが、そのほかにも大紅袍(だいこうほう)、正紅、美人酔、桃花片、美人霽(びじんせい)、娃娃臉(あいあいれん)、楊妃色、海棠紅などの微妙な色の違いによる異称や美称を古文献の中に見つけることができます。
 このように、作られた時期や窯、微妙な色合いによって細かく分けて名づけられている赤い釉薬は、いずれも酸化銅を呈色剤として1200〜1300℃の高温で焼成することで赤く発色する銅紅釉であり、日本ではすべてひっくるめて辰砂(しんしゃ)と呼んでいます。日本とは比べものにならないほど、中国では赤い釉薬への関心が高かったことを窺い知ることができます。とくに赤色の釉薬に関心がもたれた理由としては、赤が漢民族を象徴する色であるということのほかに(※)、難度の高い色釉の開発への挑戦という理由もあったのかもしれません。

 中国における赤色の釉薬の初現は宋代で、鈞窯において澱青釉の上に紫紅色の斑文を散らしたり、紫紅色の釉薬がかけられており、また景徳鎮窯の青白磁にも紅斑が散らされている作品があります。いずれも銅を呈色剤としています。さらに、元代から明代初期にかけて、景徳鎮窯で釉裏紅磁器(図2)が作られるようになります。これは、素焼きをした素地の上に、酸化銅を呈色剤とする顔料を用いて絵筆で文様を描き、その上に透明釉をかけて高火度で還元焔焼成する技法です。また、おなじ酸化銅を釉薬の中に溶かし込んだ鮮紅と呼ばれる紅釉も明代初期に作られました。しかし、銅は気化しやすい性質であるため、安定して美しい発色を得ることはむずかしく、灰色に近い発色になったり、文様がにじんだりしている作品も少なくありません。そのため、明代中期以降は酸化銅を呈色剤とする顔料や釉薬はあまり用いられなくなります。
 扱いのむずかしい銅顔料・銅紅釉にかわって、明代中期・嘉靖年間以降は酸化鉄(ベンガラ)を呈色剤とした抹紅(まっこう 礬紅(ばんこう)とも)が多用されるようになります。この技法は、宋代から金代にかけて磁州窯系の窯で作られた宋赤絵が初現です。抹紅は、釉薬のかかったうつわに文様を描くための上絵具で、600〜700℃の低火度で焼き付けます。
「黄地紅彩 雲龍文 壺」(図3)では、まるで赤い釉薬がかけられているようにも見えますが、全体に黄色い釉薬をかけて焼かれた壺の上に、赤い顔料をのせています。
 窯業技術が高まる清朝になって、ふたたび酸化銅を呈色剤とする釉薬が用いられ、さまざまな色合いの赤が生み出されたことは前述のとおりですが、銅紅釉のほかにも、金を呈色剤とした臙脂紅(図4 裏面)や、鉄紅釉である珊瑚紅なども開発されました。
 現在開催中の「鍋島と景徳鎮展—君主の磁器—」では、このほかにも赤い顔料の用いられたやきものが展示されています。一口に“赤”といってもさまざまな色合いがございますので、見比べてみてはいかがでしょうか。

※ 満州族国家の清朝でも漢文化は尊重され、保護・踏襲されました。
(杉谷)
Copyright(c) Toguri Museum. All rights reserved.
※画像の無断転送、転写を禁止致します。
公益財団法人 戸栗美術館