一雨ごとに春らしく、暖かさが増してまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、戸栗美術館では 4月4日(日)より「初期伊万里展 併設:朝鮮陶磁」が開催されます。今展示では、戸栗美術館所蔵の初期伊万里の中から約70点の作品を厳選して展示しています。白地に青い文様が描かれた磁器である染付には、ともすれば冷たく硬質な印象を受けがちですが、初期伊万里では、未熟な技術ゆえの温かみのあるやわらかな白地に、草創期ならではの力強く奔放な絵付けが施されており、素朴な魅力に満ちています。
今回ご紹介する「染付 白鷺文 皿」は、初期伊万里らしくやわらかな質感の白地に、愛嬌のある白鷺が描かれています(図1)。初期伊万里には花々などの植物文様をはじめ、さまざまな文様が絵付けされていますが、白鷺文は最も作例の多い動物文様のうちの一つです。本器のように白抜きの染付で描かれている作品のほか、吹墨で表わされたものや、青磁染付、銹釉染付などの技法による作品もあります。
中国において、白鷺は、白い羽の美しさや優雅な姿が好まれ、蓮と同じように泥中でも泥に染まらない高潔な人格の喩えとして好まれた文様モチーフです。また、蓮池に鷺の図は、蓮=連、鷺=路のように発音が通じることから、「一路連科」(続けて科挙に合格する、立身出世する)を寓意し、宋代以降、焼き物をはじめとして絵画や工芸品によく表わされました。
中国的な文様を理想として創始された伊万里焼では、中国の焼き物と共通のモチーフが採用されていることも少なくなく、鷺文もそうした影響のもとで描かれたものと考えられます。しかし、初期伊万里の鷺文は蓮とともに表されるよりも、単独で描かれるか芦とともに描かれる場合が多いように見受けられます。芦も「路」と音通することから、中国の蓮池図には、慈姑(くわい、「慈」の字が好まれた)や蓼(たで、多くの実がなる姿から多子多産を象徴する)とともによく描かれていますが、鷺と芦ではどちらも「路」の発音ですから、それだけでは音通による吉祥意味は成立しません。初期伊万里では、吉祥文様というよりも、身近な水辺の風景として白鷺が描かれたのでしょう。白鷺は、川や水田などの人間の生活圏内に生息していますので、伊万里焼用の粘土を精製する水簸場(すいひば)でも見かけられたのではないでしょうか。本器の白鷺を見てみても、高潔さや格調の高さを表わしているというよりは、親近感をもって描かれているようです。
ところで、この白鷺の文様はいったいどのようにして描かれているのでしょうか。呉須で塗りつぶした藍色の円の中に白抜きで表わすことにより、白鷺の白さが際立っています。一般的に、白抜きで文様を表す方法としては、単純に文様の部分を残して周りを塗り詰める方法のほか、合羽摺り(※1)、墨弾き(※2)、掻き落とし(※3)などの技法があります。作品をよく見てみると、藍色の円の部分には同心円状の筆跡が残っており、ロクロで回しながら呉須が塗られたことが分かります。墨弾きの技法は1650〜60年以降に使われ始めたと見られ、初期伊万里の段階ではまだその使用が確認されていませんので、おそらく型紙などを用いてマスキングした上から呉須が塗られたのでしょう。また、持ち上げている足などの細い線状の部分は、うっすらと青みがかっていることから、掻き落としによって描き出されたものと考えられます。
ちなみに、初期伊万里のうち、型紙でマスキングする方法が用いられている装飾技法としては吹墨も知られています(図2)。吹墨は、中国景徳鎮民窯産の古染付で用いられていた技法を、初期伊万里が倣ったものです。吹墨技法の初源は元時代の青花磁器に認められ、作例は少ないものの、当館でも一部吹墨が施されている元青花の盤を所蔵しています(図3)。ただし、元青花では完成された文様の上に重ねて吹墨が施されていることから、意図的に施されたものなのか偶発的に付着してしまったのかは分かりません。なお、元青花には、白抜きで蓮池に遊ぶ白鷺の図が描かれ、その画面全面には吹墨が掛けられているという有名な作品があり(※4)、一致が重なっていて興味深く感じます。
※1.合羽摺り・・・型紙などでマスキングする方法
※2.墨弾き・・・白く残したい部分に墨を塗り、その上から呉須を塗った後、焼成する技法。焼くことで墨は消え、呉須の部分は残るため白抜きの文様ができる。
※3.掻き落とし・・・この場合、白い素地の上に呉須絵具を重ね、表面の呉須の一部を削り落とし、下の白地を出すことで文様を表わす技法。
※4.トプカプ宮殿博物館所蔵