異常気象といわれたこの夏ですが、10月になりようやく平年並みの気温になってまいりました。急に冷え込みましたので、みなさま体調管理にはお気をつけください。戸栗美術館では今月3日から、「古伊万里展—肥前磁器の系譜—」を開催します。(10月2日までは展示替えのため休館です。ご注意ください。) 江戸時代に作られた伊万里焼の変遷をたどる展示になります。今回ご紹介するのは、その中でも、17世紀末~18世紀初期に作られた、ヨーロッパ向けの伊万里焼の大皿、『色絵 花卉文 輪花皿』です。
全体を十弁の花形に形作り、中央にはブーケのように牡丹花をまとめ、縁には梅・菊・牡丹・椿が描かれています。梅の描き方や余白を多く残す構図などには17世紀後半の柿右衛門様式の遺風を残していますが、染付素地に色絵を賦彩し、金彩もふんだんに用いた金襴手様式の特徴もそなえており、過渡的様相を示す作調であるといえます。上絵は細い染付による輪郭線の上をはみ出すことなくぴっちりと塗られている点でも、輪郭線の境界まで色を塗りこまないことも多い柿右衛門様式との違いが見受けられます。
裏面には、流水に花散らし文を表わし、高台内には丁子が描かれています。丁子(クローブ)は、舶来のスパイスであり、その香りと希少性から宝尽くし文にも含まれる吉祥文様です。もとは中国の八宝文に表わされていた犀角が変容したものとも言われています。
一般的に古伊万里の高台内には、中国磁器に倣って、「大明成化年製」「大明嘉靖年製」などの中国の年号や、そこから変化した「太明年製」などの銘款、「富貴長春」、「福」、「誉」などの吉祥語句が記されることが多く、このように文様を款とする作品はそれまでの伊万里焼には見られないものでした。
では、何をきっかけに文様を銘款代わりとするようになったのでしょうか。少し考えてみましょう。
文様を銘款とする先例を探してみると、中国清朝の康煕年間に作られた景徳鎮磁器が挙げられます。それ以前の中国のやきものにも画銘は使用されていませんでしたが、康煕十六年(1677)に、景徳鎮磁器に関して、年号や聖賢に関する銘款を禁止する法令が出されて以来、替わりに木の葉や法螺貝などの文様を銘款として用いるようになりました。伊万里焼は、その誕生間もない頃から中国磁器を理想とし、モデルにして作られてきましたので、こうした画銘も中国磁器の新様式として取り入れられた可能性があります。
ただし、同時代の有田ではまだ文様を銘款とする画銘は描かれておらず、画銘が登場するのは、金襴手様式への移行期の作品、すなわち本作品の時代までまたなければなりません。このように写しはじめるまでに時差があることについては、1677年当時、中国では新しく清王朝がたったばかりで全国を平定するには至っておらず、海外貿易を停止していたことが原因として挙げられます。すなわち、同時期には日本に中国磁器はほとんどもたらされておらず、中国が貿易を再開した1684年以降になって、画銘という中国磁器のニューモードが知られたとすれば、伊万里焼に画銘が表わされ始める時期と符合するのではないでしょうか。
今展示では、江戸時代に作られた伊万里焼の変遷をご覧頂く展示となっています。伊万里焼に新しい文様が登場したり、様式が変化する背景には、当時の日本国内の流行や、外国との関係、社会情勢などさまざまなことがあります。今展示では、そうした背景を探りながら展示をご覧いただければ幸いです。