学芸の小部屋

2010年11月号

「ケンディというもの」


染付 山水文 水注 伊万里
江戸時代(17世紀後半)
高24.0㎝ 口径4.2㎝ 高台径8.9㎝

先日は東京で木枯らし一号が観測され、一気に寒さが増しましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
現在開催中の『古伊万里展—肥前磁器の系譜—』は、江戸時代に作られた伊万里焼の変遷をたどる展示であり、初期から江戸後期までのさまざまな伊万里焼を展示していますが、今回も前回の学芸の小部屋に引き続き輸出用のやきものをご紹介します。

楕円形につぶれた胴、細くまっすぐな頸の先には鍔縁状に開いた口があり、肩に乳房形の注ぎ口をもつ何とも変わった形です。これは、東南アジアで用いられた水注を模したもので、ケンディ(Kendi)と呼ばれる器形です。ケンディというのは、サンスクリット語のクンディカ(Kundica =注口つきの水瓶(すいびょう)の意)に由来する呼称で、中国で音訳されたものがそのまま日本でも取り入れられ、「軍持(ぐんじ)」とも表記・呼称されます。

16世紀、大航海時代の中で、東洋貿易の覇権を握ったポルトガルによって、大量の中国磁器が東南アジアやヨーロッパへ運ばれましたが、その中にケンディもありました。熱帯気候の東南アジアにおいて、ケンディは水を冷たく保つことができる上、携帯にも便利な日用の飲水器でした。注口が乳房形に作られることにより、勢いよく水が出る構造になっているため、注口に直接口を触れることなく、放物線状に觚を描く水を口で受けるようにして飲むことができ、回し飲みの習慣がある東南アジアにおいて、衛生的に飲水できる有用な器でもありました。ヨーロッパでは実用面から言えば需要のない器形ではありましたが、東洋趣味の流行の中でその変わった形が受けて、オランダのデルフト陶器でもケンディが作られています。17世紀にオランダ東インド会社を介して輸出を始めた伊万里焼にも引き続きケンディは求められ、染付・色絵、精粗さまざまな作品が作られています。
本器は、伊万里輸出が始まってから比較的早い段階の作品であり、頸部に描かれたチューリップ風の文様や、胴部の山水文などに、17世紀中ごろに中国景徳鎮窯で作られたトランジショナル手(明末清初手)の影響が見られます。

ところで、このような飲水器だけでなく、仏具にもケンディと呼ばれるうつわがあります。仏教の伝来とともに西域から中国、朝鮮半島、日本へ伝わり、古くは東晋時代の僧・法顕による『仏国記』に「軍持」の名が見え、唐僧・玄応撰の『一切経音義』ではケンディを「謂双口澡灌也」(二つの口を持つ壺)と記しています。もとは金属器製でしたが、唐代から北宋代にかけて華北の窯場を中心に白磁でも作られました。仏具のケンディは浄瓶(じょうへい)とも呼ばれ、頸の先と肩の2ヶ所に口を持ち、把手がない点で飲水器タイプと共通しますが、胴は卵形で、全体のシルエットは細長く、また口のつくりに大きな違いがあります。すなわち、飲水器タイプでは上部の口から器の中に液体を注ぎ入れ、肩の口から液体を出す構造になっているのに対し、浄瓶形は肩の口が盤口形(ばんこうがた)に広く開き、そこから器の中に液体を注ぎ入れ、瓶の上部から液体を取り出す構造になっているのです(下図参照)。


飲水器タイプのケンディ   浄瓶タイプのケンディ

浄瓶と飲水器タイプのケンディは、構造や用途・用法の違いがあるため実際のところははっきりしていないながらも、共通のルーツをもつとする説もあります。仏具として日本でも作られた浄瓶と、17世紀に輸出磁器として作られる以外に日本で根付くことのなかった飲水器が、同じ「ケンディ」という名を持ち、同じ器形の仲間であることは非常に興味深く感じます。

(杉谷)
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