朝晩はめっきり涼しくなってまいりました。みなさまつつがなくお過ごしのことと存じます。戸栗美術館では今月2日から、「海を渡った伊万里焼—鎖国時代の貿易陶磁—」を開催します。柿右衛門や金襴手を中心に、ヨーロッパの宮殿や貴族の邸宅を彩ったであろう華やかな伊万里焼の数々をご覧ください。
さて、今回はその中から、輸出用に作られた変わった形のお皿をご紹介いたします。
「染付 牡丹文 皿」 伊万里
江戸時代(17世紀後半)
高8.5cm 口径28.3cm 高台径11.3cm
鍔縁状に作った口縁の一部を半月状に切り取った、やや深めのお皿です。これは「ひげ皿」と呼ばれる器形で、半月状の切込みに首をあてがい、ひげを剃ったり洗ったりするときの受け皿として使用されました。もともとヨーロッパでは真鍮などの軽い金属製のひげ皿が使用されていましたが、その形の面白さから磁器でも作られるようになったのでしょう。
伊万里焼のひげ皿の中には、半月状の切込み部分の径が小さく、とても首を嵌められるサイズではないものもあり、そうしたものは悪い血液を採決除去する“瀉血(しゃけつ)”という治療の受け皿として用いられたとの説もあります。しかしなぜ、ひげ剃り用の皿である「ひげ皿」と外科治療用の皿が結びつくのでしょうか。
当時、ヨーロッパにおいて理容師は“barber-surgeons”(理容外科医)と呼ばれ、外科医を兼ねており、ひげ剃りも瀉血も理容外科医の仕事でした。少し時代の下った例になりますが、ロッシーニのオペラで有名な「セビリアの理髪師」(原作の戯曲は1775年、ボーマルシェによる)でも、理髪師フィガロは、床屋としての仕事以外に瀉血、抜歯なども手掛ける町の何でも屋として描写されています。
ただし、瀉血の様子が描かれた絵画や医学書の挿図では、テーブルや床に皿を置き、滴る血液を受けた様子が描かれており、腕を皿に添わせて使用するものではないことが分かります。またそこに描かれた受け皿の形状は必ずしも「ひげ皿」ではなく、丸い形をしていることも少なくありません。以上のことを考え合わせると、瀉血専用のひげ皿があったわけではなく、理容外科医は、ひげ剃りに使うひげ皿を、もう一つの業務である瀉血の受け皿として“代用”あるいは“併用”していたのではないかと考えられます。
なお、「セビリアの理髪師」のフィガロがそうであるように、当時、理容外科医という職業は特別地位の高いものではありませんでした。そうすると、美しく絵付けが施され、高級品であった伊万里焼製のひげ皿を、理容外科医が通常の「道具」として用いたのだろうか、という疑問が出てきます。
その答えは、ヨーロッパに伝わるドールハウスの中に見つけることができます。ドールハウスの壁面装飾としてミニチュアのひげ皿が飾られている例が知られていることにより、その他の輸出用の伊万里焼と同様、ひげ皿も実用としてだけでなく室内装飾用としても用いられていたことが分かっているのです。ひげ皿はふつう、口縁の上端に2つの穴がうがってあり、使用しない時に紐を通して壁にかけておくためのものだと言われていますが、壁面装飾として用いるときにも活用されたものと考えられます。半月状の切込みの径が小さいものは、最初から装飾用として製作されたものだったのでしょう。
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