厳しい残暑の続く日々ですが、季節は少しずつ巡り、秋を迎えようとしています。
空の様子を眺めていると、夏の晴れ渡る空に現れる巨大な入道雲は姿を消し、8月の終わりには小さなまだら雲が現れ、雲はその様々な形で季節の変化を伝えてくれます。
今回の学芸の小部屋では、「雲」をキーワードに作品を鑑賞していきたいと思います。
日本では古くから雲を文様として好んで用い、やきものにも数多く描いてきました。渦巻く雲、たなびく雲、霞のように薄い雲、小さな雲を散らばせたり、様々な形の雲の文様が生み出されました。
初期伊万里にも、多様な雲の表現が見られます。例えば、当館所蔵の「染付 山水人物文 皿」には、2人の人物が夜道を歩く風景が描かれ、その中で雲は風にふかれて走っていくような流れる形で描かれています。筆を滑らせて一瞬の動きで描いたのでしょうか。月の光、揃って飛び立つ雁の群れ、前かがみで歩く2人の人物、夜風に流される雲の動きが情景をさらに浮かび上がらせ、物語すら感じさせます。ここでは、雲は山水文の中で情景を語る一要素として描かれています。
では、現在開催中の「初期伊万里展~日本磁器のはじまり~」に出展している「染付 雲堂文 水指」に描かれた雲を見てみましょう。そこには、異なる形で2種類の雲が表現されています。
1つ目は、中央に描かれた楼閣の周囲に漂う雲です。一見すると、どこに雲があるかわかりませんが、楼閣をよく見ると、その左半分は欠けているように描かれているのがわかります。周りには屋根の一部や笹の葉が点々と宙に浮いているように配置され、その間に白の地が残されています。この何も描かれていない部分に、「雲」をみつけることができます。遠く高く切り立った山中、そびえる楼閣にかかる厚く白い雲です。あえて雲の形を描かず、地の白を活かすことで、雲を表現していると考えられます。
2つ目の雲は、楼閣の左右に無数の突起をつけてもくもくとした状態で描かれています。これは如意雲または霊芝雲と呼ばれる雲の文様です。眼前に迫るような力強さで描かれ、強い印象を与えます。水指の全体を見ると、この雲状の文様と楼閣のある風景が交互に繰り返し描かれ、ループするように展開していく画面構成であることがわかります。
このような雲と楼閣を組み合わせて風景を描く手法は、中国明代(15世紀中頃)に景徳鎮民窯でつくられた磁器に多く見られます。それらは日本の茶人によって雲堂手・雲屋台と呼ばれ、人気を博しました。
雲堂手は、物語を主題として、登場人物とその背後に様々な雲を描きます。雲の文様は、流れゆく形で物語の推移を表したり、大きく描いて場面の区切りとするなど、様々な役割があります。また、雲と組み合わせて描くことで、楼閣を神の住む所・神聖な場所として暗示する役割もありました。表現の類似性から、この水指も茶人から有田へ特別注文があり、中国の雲堂手・雲屋台の手法に倣ってつくられたと考えられ、形式だけでなく、雲の文様の果たす役割も理解して描き出されているように感じられます。
例えば、ループするように描かれている楼閣の風景を雲が区切り、場面を転換させていると考えます。すると、物語が次へ次へと進むかのように、時間の経過を感じることができます。または場所を転換させていると考えると、それぞれの風景は全く別の場所が同時に描かれているのかもしれません。それは、世界最古の小説といわれる「源氏物語」などの絵巻物をみているかのようにも感じられ、楼閣の中でどのような物語が展開しているのか、など想像を膨らませることができます。
また、2種類の雲を同じ画面に表現することで生まれる効果もあります。1つ目の遠く画面の奥にあえて描かないほどに印象を抑えた雲、2つ目の眼前に迫るような強い印象で描かれた雲、この対比は絵画でいうところの空気遠近法を用いているかのように、画面に奥行きを生んでいます。まるで、遠くにある特別な場所を何重にも雲を重ねて隠しているかのようにも見え、描かれた風景はより神秘性を増し、手の届かない神聖な場所を感じさせます。2種類の雲を描き分けるなど工夫を凝らし、様々な想像を膨らませるような暗示を幾重にもかけたであろうこの水指をつくった陶工は、一体どんな情景を思い浮かべていたのか、想像が膨むばかりです。
なお、初期伊万里は、有田の陶工たちが独自の解釈や工夫で描いた文様が多く見られ、それらは絵筆に不慣れな事からモチーフがはっきりとしないものも少なくありません。何が描かれているのか、どんな意味がこめられているのか、その文様から様々な想像を巡らせると、今回「雲」として紹介した文様も、人それぞれ違うものに見えるかもしれません。例えば、水指の2つ目の雲として紹介した文様は、よく見ると中心に木の幹のような塊がしっかりと描かれているので、鬱蒼と茂る木を想像することもできます。皆様はどのように想像されるでしょうか。
描かれた文様を手掛かりに、それぞれの解釈で様々に想像を膨らませながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。
(竹田)