学芸の小部屋

2014年5月号

「飛び跳ねる兎・うずくまる兎」

染付吹墨白兎文皿
伊万里
江戸時代(17世紀前期)
高3.6cm 口径21.0cm

緑のまぶしい季節となりました。皆様つつがなくお過ごしのことと存じます。今回の学芸の小部屋では、『古伊万里動物図鑑展』出展品の中から、「染付 吹墨白兎文 皿」をご紹介いたします。


図1 青花吹墨玉兎文皿 景徳鎮窯
明代17世紀 高2.8cm 口径21.3cm
山口県立萩美術館・浦上記念館所蔵

図2 染付 吹墨月兎文 皿  伊万里
江戸時代(17世紀前半)
高2.7cm 口径19.5cm
伊万里焼の装飾には中国陶磁を手本としているものが多く、その中でも初期伊万里には古染付(※1)からの影響が強く見られます。本作のような吹墨技法による兎文の皿についても、古染付の中に近似した画題、装飾技法の作品が知られています(図1)。この種の作品は、初期伊万里、古染付ともに類品が多く、初期伊万里では雲の替わりに月があらわされているものや(図2)、四阿(あずまや)があらわされているものなどがあり、古染付では縁文様にいくつかのバリエーションが知られています。

では、これらの古染付と初期伊万里を比較してみたとき、古染付では兎はうずくまっているのに対し、初期伊万里では飛び跳ねている点/短冊の中の文字が古染付は「玉兎」と記されているのに対し、初期伊万里は「春白兎」と書かれている点/古染付では兎と短冊のみのモチーフであるのに対し、初期伊万里では雲などのモチーフが加えられている点などに違いを見つけることができ、初期伊万里は古染付を完全模倣しているわけではないことが分かります。

古染付の短冊に記された「玉兎(ぎょくと)」とは、古来中国で月には兎がいるものと考えられていることに由来する、月の別称。したがって、この古染付の作品では、短冊は月を意味し、兎は月を仰ぎ見ている図像であることが理解されます。
日本においても兎は月で餅をついているものとしてよく知られているところです。今橋理子氏によると、日本の絵画の中ではこの月から満月、そして秋を連想し、〈秋草に兎〉が一つの画題として江戸時代までに成立しているといいます。そしてこの画題では、基本的に兎はうずくまって上方を仰ぐ姿であらわされており、直接月が描きこまれていない場合であっても月の存在が暗示されているとのこと(※2)。古染付でもそうであったように、「うずくまって(月を)仰ぎ見る」、これが〈月に兎〉の基本姿勢ということが分かります。
では、なぜ初期伊万里の兎は飛び跳ねているのでしょうか。


図3 染付 波兎文 皿   伊万里
江戸時代(17世紀中期)
高2.7cm 口径15.2cm
日本において〈月の兎〉の図像はさらに、謡曲『竹生島』の中の「月影が湖面で白く光る様子が、月の兎が波の上を走っているようだ」という一節(※3)をもとに、白兎が波の上を飛び跳ねる〈波に兎〉の図像へと展開しています。〈波に兎〉のモチーフは絵画よりもむしろ染織や工芸品の中で多く用いられ、伊万里焼にも取り入れられています(図3)。今回ご紹介する「染付 吹墨白兎文 皿」は古染付のみならず、〈波に兎〉の意匠からも影響を受け、飛び跳ねる姿であらわされることになったのでしょう。

また、短冊の文字が「玉兎」から「春白兎」に変更されている理由については、日本人が「玉兎」の文字に対して持つイメージがヒントになりそうです。やはり今橋氏の論考によると「玉兎」は日本では「たまうさぎ」と読ませ、丸くうずくまる姿の兎形の和菓子や張子などの伝統的な玩具に名づけられる例があるとのこと(※4)。そしてその伏せて丸くなった姿の「玉兎(たまうさぎ)」から「玉兎(ぎょくと)」=月→満月への連想にもつながるといいます。このように、「玉兎」の文字から日本人が想起するイメージと飛び跳ねる姿の兎が合致しなかったため、短冊の文字が変更されたのかもしれません。また図2では、月も描き加えられており、もし短冊に「玉兎(ぎょくと)」と記すと1つの画面に月が2つも登場することになることから文字を変更した可能性もあります。
江戸時代の百科事典『和漢三彩図会』(寺島良安編纂、正徳3/1713年)には、月の項の最初に別称として「玉兎」が挙げられていますので、江戸時代の知識階級の人々は「玉兎」が「月」をあらわすことは当然知っていたでしょう。しかし、伊万里焼を生産していた有田の職人は果たしてどこまで理解していたのでしょうか・・・。なお、月との関係から兎は秋と結び付けられることが多く、残念ながら現在のところ「春白兎」の典拠は明らかではありません。
ともあれ、中国的意匠の多い伊万里焼ですが、その中には日本の独自の解釈やアレンジが含まれており、文様が形作られていることが分かります。

『古伊万里動物図鑑展』は6月29日までです。
引き続き、職員一同皆様のご来館を心よりお待ち申し上げております。


※1 古染付とは、中国明時代末期天啓年間を中心に、景徳鎮窯民窯で生産された青花磁器に対する日本での呼称。その製品には、香合や水指、向付などの茶道具類が多く含まれ、意匠に桃山陶との共通性もみられることから日本からの注文品であると考えられています。またその一方で、同時代の景徳鎮窯では、日本からの注文とは見られない、皿や鉢類などの食器類も多く作られており、それらも日本にもたらされています。現在、一般的にこれらの食器類についても「古染付」の範疇として認識されています。
※2 今橋理子2004『江戸の動物画 近世美術と文化の考古学』東京大学出版会 pp.43-48
※3 「緑樹影沈んで、魚木に上る気配あり、月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白き浦の景色や」(木々の緑の影が湖面に映り、水中に泳ぐ魚はあたかも木々に登るかのよう。月が湖上に浮かぶと、その月の中の兎も波の上を走るかのよう。なんと面白い、この島の様子であること。)現代語訳は同※2 pp.53-54より
※4 同※2 pp.59-64

(木野)

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