色絵丸松竹梅文蓋付碗
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
通高7.5㎝ 口径10.4㎝高台径4.0㎝
日増しに秋の深まりを感じる季節となりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
現在戸栗美術館では、「古九谷・柿右衛門・鍋島展」を開催しております。
今回の学芸の小部屋では、出展品の中から「色絵 丸松竹梅文 蓋付碗」をご紹介致します。
こちらの作品は、古九谷様式の祥瑞手に分類されます。蓋と身に丸文を配し、その中に花や銀杏の葉、扇、宝、松竹梅などの吉祥文と、見込と蓋の裏には色絵で草花文が描かれています。身と蓋の口縁には口銹が施され、見込にはふりものが多いことから、匣鉢には入れずに焼成されたとみられます。身と蓋は歪んでおり、ぴったりとは合いません。当館には五客所蔵されております。
有田の窯元でロクロ師をされていた職人さんのお話によると、明治生まれの窯元の社長や先輩方から常々、同じ寸法で数を作れて、一人前の職人だといわれていたそうです。当時は職人の中でも花瓶や鉢など大物を作るロクロ師を「荒物細工人」、食器などを作るロクロ師を「小物細工人」といい、小物細工人の中でも型打ちが専門の場合は「型打ち細工人」、飯碗など丸い形状が専門の場合は「丸物細工人」に分けられました。丸物細工人にとっては、「丸く焼きあがって当たり前」ですが、蓋物となると蓋と身、別々に作ったものを1300℃近い窯の中で焼くため難しさは増し、その中でも寸分狂わずに、ぴったりとした蓋合いにする蓋物は、理想の器でありながらそれを作れる細工人はほんの一握りであったそうです。
このような蓋物を作るには、有田ではロクロで成形する場合、まず「のべべら」という先端が丸く細長いヘラを使い、ヘラと左手で土を挟み、粒子を締め上げながらおおまかな形を作ります。その後、「おしべら」という器形内側の形状に合わせて作ったヘラで形を整えます。その際の微妙な力の入れ方と土の硬さ、水分量などにより、乾燥の際の素地の起き上がりに違いが出ます。その後素焼をし、本焼をしていく中で釉薬が溶け、今度は逆に素地がだれるようになります。そのような制作段階で、素地の動きや力加減など、ロクロ師は微妙な違いを把握しなければなりません。実際に江戸時代の組食器をみても、蓋合いや高さがまちまちであり、揃えて作る難しさを物語っています。
九州近世陶磁学会編纂「九州陶磁の編年」では、こちらの蓋物の類品が、生産年代1640年代末~1650年代前半と推測され、最も古い蓋物であると紹介されています。当時は足で蹴って作る蹴ロクロのため、体力と回転数を調節する技術が必要ですし、それを登り窯で焼成するのも温度調節が大変難しく、現在とは比べものにならないほど厳しい環境であったことでしょう。そのような中で作られた初期の蓋物、陶工がどのような思いで作ったのか想像しながら鑑賞するのも楽しいものです。
「古九谷 柿右衛門 鍋島展」は12月23日(火・祝)までです。
皆様のご来館を職員一同お待ち申し上げております。
(陣川)