色絵裏白譲葉文皿
鍋島
江戸時代(17世紀末~18世紀初)
高3.5㎝ 口径11.4㎝ 高台径6.1㎝
師走を迎え、ますますご多忙のことと存じますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
戸栗美術館では現在、「古九谷・柿右衛門・鍋島展」を開催(12月23日(火・祝)まで)。江戸時代に製作された伊万里焼・鍋島焼の中でも、色絵磁器の名品を一堂にご覧いただける企画展です。日々の息抜きに、今年最後の美術鑑賞としてご来館いただけましたら幸いです。
今回の学芸の小部屋では「古九谷・柿右衛門・鍋島展」出展品の中から「色絵 裏白譲葉文 皿」をご紹介致します。
本作は、鍋島焼が最盛期を迎えた17世紀末から18世紀初頭につくられた小皿。裏白と譲葉を、巧みな文様構成で躍動感あふれる意匠に仕上げています。染付の薄濃の上に、線描きで羽状に広がる葉を細やかに描いた裏白。染付の輪郭線の中を上絵の黄・緑で塗り分けることで新旧の葉をあらわし、赤の柄でアクセントを加えた譲葉。創意溢れる意匠と共に、最盛期らしい緻密かつ丁寧な描写が見所です。
さて、ご存じの通り、裏白と譲葉は、しめ縄・鏡餅といった正月飾りに欠かせないモチーフですが、江戸時代にはその由来について次のように考えられていました。「貫衆(しだ)・楪(ゆずりは)を注連(しめ)に飾るは、譲葉は若葉栄へて後、古葉落ちるゆゑ、家督をめでたく譲り葉と祝ふなり。(略)また歯朶(しだ)といふ草は、またの名を双向(もろむき)といふて、雪霜にも負けず。双向の二葉栄へものゆゑに、夫婦中よく離れざる事、双向の如くならんとて、相生を祝ふなり」(「五節供稚童講釈」天保2(1831)年)
つまり、譲葉は新しい葉が成長すると古い葉が落ちることから、途切れることなく子孫に家督を譲り繁栄が続くことを願うものであり、裏白(貫衆・歯朶)は雪霜にも負けない強さを持つ葉のように、夫婦が仲良く離れずに過ごすことを願うものとしてしめ縄の飾りに用いる、とのこと。譲葉の由来は、現代一般に知られる内容と差異ありませんが、裏白に関しては諸説あり、常緑の葉であることから長寿をあらわす、または葉の裏側が白いことから潔白な心をあらわすといった説も現代では広く浸透しているようです。いずれにしても裏白と譲葉を縁起物として捉え正月飾りに用いることは、江戸時代も現代も変わらず受け継がれてきた慣習であることがわかります。
この2つのモチーフの組み合わせや、小品ながら極めて丁寧な作行から、本作が特別なハレの日である正月を意識して誂えられた品であることは明らかでしょう。鍋島焼では、毎年11月に行われる将軍への例年献上のほか、安永3(1774)年の10代将軍家治お好みの品のように、形や意匠に将軍家側の好みを反映させた注文品もつくられました。本作が生まれた経緯については様々な可能性が考えられますが、現状定かではありません。ただ、裏白・譲葉を組み合わせて描いた盛期鍋島の5寸皿も確認されており、鍋島焼においてこのような正月を意識した品が度々作られていたことは間違いなく、年始の慶びを伝える品として祝いの席を華やかに彩ったであろうと想像されます。
ちなみに、江戸時代の風俗慣習を記した資料(菊池貴一郎著「江戸府内絵本風俗往来」明治38(1905)年)によると、各大名の江戸屋敷に施された正月飾りは一般庶民がわざわざ見物に訪れる程のものだったようで、中でも佐賀藩主鍋島家と久保田藩主佐竹家の門飾りについて次のようにあります。
鍋島家の門飾りは稲藁を編んで作った鼓形のしめ縄で、左右56尺(56尺=約17m)もある大きなもの。材料には選び抜いた稲藁を用い、中央には海老や橙、側には松竹などが添えられました。対して佐竹家は、元旦より七種までの7日間、屋敷の門の左右に武士を着座させたことから“佐竹の人飾り”と呼ばれ、江戸の正月の名物とされました。
江戸時代の人々がそれぞれに正月飾りに趣向をこらしていた様子がうかがえます。また、そうして用いられた裏白や譲葉といった正月を象徴するモチーフも、人々にとって身近な存在だったのでしょう。本作のように皿の文様としてとりあげるのも、自然な流れであったと考えられます。
現代では、正月にしめ縄や鏡餅などを飾らない方も増えているそうですが、皆様はいかがでしょうか。本作の鑑賞を通して江戸時代の人々の思いに触れ、それに倣い、是非晴れやかな年始を祝う準備を一足先に始めてみてはいかがでしょうか。
今展では第2展示室において、本作を含む最盛期の鍋島焼を展示。季節を巡るように、新春の裏白・譲葉、春の桜、梅雨の紫陽花、秋の紅葉、冬の椿といった順で、植物を主題とした作品を中心にご紹介しております。四季の移ろいを感じながら、ゆったりと鑑賞をお楽しみくださいませ。職員一同、みなさまのお越しを心よりお待ちしております。
(竹田)