学芸の小部屋

2015年4月号

「第1回:磁器誕生以前の肥前・有田地域のやきものについて」

皆様、こんにちは。
桜の季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

戸栗美術館では2015年4月以降、「磁器生誕から100年の変遷」をテーマに、江戸時代、17世紀初頭に日本初の国産磁器として製造された肥前磁器を、年代順・各様式の特徴にそってご紹介致します。全4回の企画展を1年通してご鑑賞いただくことで、肥前磁器の100年の変遷を通観できる内容となります。(今後の予定→2015年度年間スケジュール
初回を飾る「初期伊万里展」は、4月4日(土)より開催致します(6月21日(日)まで)。今展では、1610年代から1640年代に製造された“初期伊万里”と呼ばれる草創期の作品約80点と、窯跡出土の陶片をあわせてご紹介致します。

学芸の小部屋でも全12回を通して、企画展に合わせた内容をご紹介していきたいと思います。第1回となる今回は、磁器誕生以前の肥前・有田地域のやきものについてご紹介致します。



肥前・有田地域では、17世紀初頭に磁器(伊万里焼)が生まれる以前、既に陶器(唐津焼)の製造が行われていました。唐津焼の成立については、現状その時期や場所は解明されていません。ただし、紀年銘のある製品の存在や発掘調査などから、桃山時代、1580~90年頃の成立と考えられています。最初期の窯が開かれたとされる佐賀県北部・岸岳山麓に残された窯跡や出土品から、朝鮮半島の製陶技術との影響関係が指摘されています。主体となったのは碗や皿といった量産品で、朝鮮式の鉄顔料による絵付けが施されています。(右図:<参考>唐津焼 陶片(小溝窯跡出土)・特別展示室にて展示中)

唐津焼の窯跡は、現在の佐賀県から長崎県にかけて100ヶ所以上の広範囲に分布していることがわかっています。これは、唐津焼の最初期の窯が開かれた岸岳山麓を支配した波多氏が、文禄2(1593)年に豊臣秀吉の不興を買い領地を没収されてしまったことにより、この地に窯を構えていた陶工たちが肥前地方の各地に離散したと考えられています。

唐津焼が成立した背景として、豊臣秀吉の時代に茶の湯が盛んに行われたことがあります。千利休が提唱した“侘び茶”の美意識の中で高麗茶碗が珍重されたことで、諸大名たちの関心はおのずとその産地である朝鮮半島へ向けられました。諸大名によって連れ帰られた朝鮮人陶工らを中心として、肥前地方において朝鮮式の陶器製造が始まったと考えられています。唐津焼は量産品の食器がそのほとんどを占めますが、中には、茶碗や水指、向付といった茶陶として高く評価される優れた製品が残されているのも、こうした背景が関係しているのでしょう。

 肥前地域に開かれた各地の窯で大量に製造された唐津焼は、17世紀に入り急速に販路を拡大させ、広範囲に流通することとなりました。それまで、国内市場を独占していたのは瀬戸・美濃窯で製造された志野・織部といった陶器。そこへ新たに参入した唐津焼が市場に広く受け入れられた理由として、従来の国産陶器に比べ、高品質の製品を大量に生産できたことがあげられます。それを可能にしたのが、当時国内に例のなかった「登窯」の導入です。登窯は山の斜面に設けられた全長10mから20mにも及ぶ大規模なもので、地形に合わせてドーム状の焼成室を数室から30室ほど連結して構築しました。一度に大量の製品を焼成できるだけでなく、階段式の連結構造による熱効率の良さや蓄熱率の高さから高火度を保つことができ、固く焼き締めた硬質な製品の生産が可能となりました。
また、この頃は、豊臣秀吉による天下統一と朝鮮出兵を経て、全国的に海上輸送を中心とした物流網が整備された時代。北国からやってくる船が京坂や九州に米・材木をおろした帰り、陶磁器を積み込み運んだことなどが、唐津焼の販路拡大に繋がったとも指摘されています。

誕生から時を経ず、国内市場を席巻する存在となった唐津焼ですが、当時の市場において最上とされたのは陶器よりも軽く丈夫な磁器製品です。日本では長らく磁器製造の技術を持たなかったため、それらは主に中国から輸入していました。景徳鎮窯製の磁器は“南京焼”と呼ばれ、大名や公家といった特権階級の限られた人々の間で高級品として珍重されました。
国内の磁器需要が高まる中、17世紀初頭に有田西部の唐船城周辺に開かれた陶器窯において、磁器の併焼が始まりました。その後、良質な磁器原料である陶石の採れる泉山の発見を経て、磁器の本格的な製造が開始されると、食器としての唐津焼の需要は瞬く間に減少したと考えられています。
また、有田西部に位置する陶磁併焼を行った窯の多くは、寛永14(1637)年、佐賀鍋島藩による窯場の整理・統合政策によって閉窯されました。その際、磁器を製造する窯場は有田の内山地区を中心とした13ヶ所に統合され、以降、磁器製造は佐賀鍋島藩の一大産業として発展していくこととなります。

次回は「やきもの戦争と伊万里焼の成立」についてご紹介する予定です。

(竹田)

参考文献
有田町史編纂委員会「有田町史 陶業編Ⅰ」1985年/佐賀県史編さん委員会「佐賀県史 中巻」1974年/国立歴史民俗博物館「陶磁器の文化史」1998年/大橋康二「将軍と鍋島・柿右衛門」2007年

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