学芸の小部屋

2016年9月号

「第6回引手の作り方」

 秋風が恋しくなってきましたが、皆さまお変わりございませんでしょうか。早いもので、当館にて開催中の「古伊万里唐草—暮らしのうつわ—展」の会期も残りわずかとなりました。暮らしのうつわと一口に言っても食器だけでなく、様々な場面で使われていた伊万里焼を出展しています。どのように使用されていたのか、想像しながらご覧頂くと、よりいっそう楽しめる企画展です。

 さて、今回の学芸の小部屋では、出展作品より「染付 蛸唐草文 引手」(18世紀前半 長7.7×6.3㎝ 画像①)をご紹介します。(本稿では便宜上向かって左側をA、右側をBとします。)


 引手とは、襖を開閉する際に手をかけるための器具です。古くは紐状にした革などを襖の縁に付けていたようですが、次第に襖紙に入れた切れ目に引手をはめ込んで固定する形が主流になりました。       

 襖を開閉するという機能だけでなく、襖紙を引き立たせ、暮らしの空間を豊かにする役割を担っている引手。その素材は漆細工や金属細工、七宝細工がほとんどですが、磁器である伊万里焼でも18世紀頃より作られるようになりました。その背景には17世紀末頃より文化の中心を担っていた富裕な町人たちの存在があります。初の国産磁器である伊万里焼は、それまで上流階級の限られた人々しか手にすることの出来ない高級品でした。17世紀末頃からはそれらの人々だけでなく、財力をつけた富裕な町人層が消費者に加わり、製品の幅も広がっていきました。本来は磁器で製作されていなかった製品が作られるようになるのも、こだわりと遊び心にあふれた新たな需要にも対応するためでしょう。

 引手には様々な形のものがあります。画像②の様に手を掛ける部分の周りに座と呼ばれる装飾が施されたものは「座物」と呼ばれ、丸や角、透かしなど多様な形態のものが見られます。本作は楕円形の胴部に、稜花形の座をもつ形。座を埋めるように蛸唐草が描かれ、中央に四弁花が描かれています。2客の文様は蛸唐草の渦の方向など、ほとんど同じです。しかし、Aの蛸唐草は太い線で蔓を描き、突起を規則的に表した18世紀中期以降に作例の増える蛸唐草の描き方であるのに対して、Bの蛸唐草は輪郭線を用いて中を濃(だみ)で塗りつぶした18世紀前半の蛸唐草の描き方で表されています(画像③)。さらに、中央の四弁花は、Aは4弁がほぼ同じ大きさに描かれ、中央の丸は白抜きですが、Bは上下の花弁が長く描かれており、花弁中央の丸も塗りつぶされています(画像④)。また、裏面の無釉部分を比べてみると、Aは白く滑らかな素地であるのに対し、Bは黒い斑点がみられ、それぞれ異なった成分の素地で作られており、底の色の違いから焼き上がりも異なるようです(画像⑤)。同じ器形、文様構成でもそれぞれに違いがあり、さらに蛸唐草の様式が異なることから、この2客が作られた時期に若干のズレがあると推察できます。なぜ異なる時期のものが1組になって伝世したのか、それを教えてくれる記録は見当たりません。しかし、使用中に破損して後に追加発注したものが共に伝世したか、もしくは類似した規格の型で作られた製品で、それぞれ別の場所で使われていたものが1組となって伝世したのか等、かえって私たちの想像をかき立たせてくれます。

 さて、ではこの引手、どのように成形されているのでしょうか。江戸後期になって磁器の産地が増えると、有田のみならず、各地の窯場でも引手が作られるようになりますが、そのうち、兵庫県からは19世紀頃の三田焼や王地山焼の引手の元型などが発掘されており(※1)、型をつかった成形方法で作られていた様子がうかがえます。本作の裏面を見てみると、2客とも胴部と座の境目にはひびが走っていることに気が付きます(画像⑥)。これは型をつかって成形した際に、粘土が型に合わせて無理やり引っ張られたことでできたものとみえ(※2)、このことから伊万里焼でも引手は型を使って成形されていたと推測できます。本作の2客の器形や細部の寸法がほぼ同じであることもその傍証となるでしょう。 さらに、引手は片開きの襖で無い限りは2客以上必要になるため、同じ規格のものを複数作れる型を使った成形方法を採ることは妥当といえます。

 さらに底部を見ると、複数のひっかいたような痕があることに気がつきます。特にAでは同一方向に線が走っており、これはたたら(※3)で粘土板を切り出した際に生じる切糸の痕のようにもみえます(画像⑦)。なおかつ、楕円形の底や、平らな座の部分は轆轤(ろくろ)挽きで作るには困難な形であることから、轆轤挽きしてから型にあてる型打ち成形の可能性はあまり考えられません。
 また座物の引手は、座の部分に厚みがあると開閉の際に襖の縁に引っかかって双方に傷がついてしまうため、薄く作らなければなりません。本作の座も横から見ると薄作りになっています。(画像⑧)。このようなごく薄い粘土板をたたらで切り出すことは容易ではありません。たたらによる粘土板を凸型のみにあてる糸切り成形の可能性も少ないでしょう。 そこで考えられるのが、2つの型を使う成形方法、「責め型成形」です。
 責め型成形とは、たたらで切り出した粘土板や、型に押し込んだ粘土の塊を、凹型と凸型で挟んで成形したり、型に彫られた文様を器面に写し取る技法です。(※4)この成形方法ならば、型により外側と内側に同時に圧をかけて成形するため、余分な粘土は型の外にはみ出し、はじめに切り出した厚さよりも素地を薄く均一に成形することが可能です。本作は底に見られる痕から、たたらで切り出せる程度の薄さで切り出した粘土板を用いて成形したと推察します。

 磁器製の引手は、製品の趣味性の高さから、一般に広く流通していたものではなく、店舗や屋敷にしつらえるための特注品であったとみえ、食器類に比べると生産量は多くありませんでした。さらに、引手を襖に固定する際には、引手の両側面に穿たれた孔に鋲を差し込んで打ち付けるため、他の素材より硬く弾力の少ない磁器製のものでは、固定の段階で割れてしまうことが多かったと想像されます。薄作りであることに加えて、日常的に手に触れる部分であるが故に使用時に破損するリスクも高いため、現代まで完品で伝世できたものが少ないのでしょう。そのような中で、18世紀に作られた、 当館所蔵の2客が展示に耐えうる状態で伝世したことは、とても幸運なことなのだと改めて感じました。そんな本作を間近で見ることができるのは9月22日(木・祝)まで。皆様のご来館を心よりお待ち申し上げます。

※本稿を執筆するにあたり、現在当館にて個展を開催中(9月22日(木・祝)まで)の望月優氏と、波佐見在住の絵付け師の方々にご助言をいただきました。ありがとうございました。
(小西)



※1「三田 引手元型」(兵庫県・三輪明神窯跡出土 嘉永5(1852)年 三田市)や「王地山 引手土型」(兵庫県・王地山焼陶器所跡出土 江戸時代後期 篠山市教育委員会)など。(『型が生み出す、やきものの美—柿右衛門・三田—』2010年p.66、p.225参照)

※2磁土はもとに戻ろうとする力が陶土より強く、粘性も低いため、こういった成形の痕が表れやすい。

※3たたら板という粘土を切り出す際に使う板。あるいはそれによって切り出された粘土板のことをいう。

※4「責め型成形」という語句の解説は『角川日本陶磁大辞典』(2002年p.783)に準じて記載したが、本文中では文章の煩雑化を避けるために、外型を凹型、中型を凸型という言葉で表記した。

なお、責め型成形の工程は以下の通りである。
① 土型(※凹型)にたたらによる粘土板(もしくは粘土の塊)を押しつける
② 対の型(※凸型)を粘土の上から押しあてる
③ 型からはみ出た余分な粘土をヘラなどでとる
④ 少し乾燥させる(型が程よく水分を吸い、成形した粘土の形が定着するのを待つ)
⑤ 対の型(凸型)を外す
⑥ 成形した素地を型から外す
⑦ 角や縁を皮でなめしたり、ヘラでバリをとるなど細部の形を整えて成形完了。

※凹型・・・外型、雌型とも。器物の外側にあてる型。
※凸型・・・中型、雄型とも。器物の中側にあてる型。

参考文献(発行年順)
『東京内装材料協同組合創立70周年記念事業 襖考』(1990年12月東京内装材料協同組合・企画発行)(web版 http://www.naisouzairyou-annai.jp/fusuma/index.html)
『よみがえる江戸の華—くらしのなかのやきもの—』図録(1994年10月 佐賀県立九州陶磁文化館・編集出版)
『角川 日本陶磁大辞典』(2002年 8月 角川書店)
『古伊万里の見方2 成形』(2005年9月 佐賀県立九州陶磁文化館・編集出版)
『型が生み出す、やきものの美—柿右衛門・三田—』図録(2010年6月 兵庫陶芸美術館・編集出版)



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