学芸の小部屋

2018年11月号
「第8回:色絵 梅鶉文 八角鉢」
(作品公開期間:2018年11月1日~11月30日)

 段々と草木が色づき、寒さも厳しくなってきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 戸栗美術館では『鍋島と古九谷―意匠の系譜―展』(~12月22日)を開催中です。佐賀鍋島藩による徳川将軍家への献上などを目的に誕生した鍋島焼。そのきっかけは中国における明から清への王朝交代に伴う磁器輸入の縮小でした。将軍献上品に中国陶磁をあてていた佐賀鍋島藩は、折しも技術革新の時期に差し掛かり、上質な伊万里焼を製作していた有田に目を付け、そこから優秀な職人たちを集めて鍋島焼を創出します。そのため鍋島焼の技術は17世紀中期の有田の技術を踏襲していますが、将軍献上を目的とした作風は、整然とした格調高いものに仕上がりました。今展は鍋島焼と17世紀中期に始まる初期の色絵様式である古九谷様式の伊万里焼を中心にその関係性に焦点をあてた展覧会。伊万里焼から鍋島焼へ受け継がれた技術やデザインの系譜をご覧ください。

 今展でご紹介しているように、やきものの誕生の背景には、当時の社会情勢やそれらの使用目的などが絡み合っています。今回の学芸の小部屋で取り上げる「色絵 梅鶉文 八角鉢」(18世紀前半 口径17.5㎝ ドイツ・マイセン窯)も時代の要請によって生み出されたやきものと言えます。


 本作は柿右衛門様式の伊万里焼を模した18世紀前半のドイツ・マイセン窯の作例。口径17.5㎝の深めの器形にしっかりとあらわされた稜線がシャープな印象の八角鉢に、赤青2羽の鶉と梅樹、草花が描かれています。赤を基調とした絵付けが華やかですが、余白の多さが僅かに黄味がかった素地のまろやかさを活かし、上品な佇まいの作風に仕上がっています。

 本作に見られる八角、余白、縁銹どれも17世紀後半の輸出向け色絵磁器である柿右衛門様式の伊万里焼の特徴です。そして特に影響がみられるのが文様のモチーフ。主文様となる鶉は伊万里焼にしばしば登場します。これは、遡ると中国・宋画に祖型が見られますが、伊万里焼では、粟や柿右衛門様式に特に良く見られる多弁の梅との組み合わせが散見されます。本作も梅樹と共に鶉が描かれており、 手本とした伊万里焼の文様が想像できそうです。また、鶉の表情にもご注目を。番(つがい)をあらわすと言われる赤青の鶉は2羽とも目を閉じて、澄ました表情をしています。実は、柿右衛門様式の伊万里焼の鶉は目をしっかりと開いているものが殆ど。恐らく絵付けの際にアレンジされたのでしょう。
 本作に見られる「梅に鶉」はマイセン窯でパターン化され、その後も東洋風の文様として様々な器面を飾る定番文様となっていきます。柿右衛門様式の伊万里焼から受け継いだ要素はそのままに、独自の解釈を加えているところが見所です。

 ところで、18世紀前半頃のマイセン窯では、精巧な柿右衛門様式の写しが生産されています。創造性を重視し「写し」をよしとしない傾向にある西欧で、日本の伊万里焼の模倣品を作っていたのは何故なのでしょうか。その謎を紐解く鍵は、マイセン開窯の少し前にありました。

 17世紀初め頃の西欧諸国の王侯たちは、白く堅牢で美しい中国磁器に熱中し、こぞって集めました。当時、磁器の生産ができなかった西欧諸国では、磁器の供給を輸入に頼るほかなかったためです。希少性も相俟って大変高価なそれらは、金にも匹敵する魅力的なものでした。その後17世紀後半には中国の王朝交代によって磁器輸入が困難となったことから、日本の佐賀・有田で生産されていた伊万里焼が輸入されはじめ、古九谷様式からより西欧好みにブラッシュアップされた柿右衛門様式の伊万里焼を珍重するようになります。中国製・日本製問わず高級品であった東洋の磁器。これらをコレクションし、飾って楽しむ部屋である「磁器の間/ポーセリンキャビネット」を持つことは、王侯貴族にとって富と権威の象徴でもありました。
 そんな憧れの磁器の自国生産を画策するのは自然な流れでしょう。ザクゼン候・アウグスト強王(1670~1733)も、遅ればせながらも東洋の磁器に魅せられた一人。彼は1705年、錬金術師J.F.ベトガー(1682~1719)に、当時「白い金」と例えられていた磁器の焼成を命じます。勅命を受けたベトガーは監禁状態のなか、物理学、地質学など様々な学問に精通していたE.W.R.チルンハウス伯爵(1651~1708)、地元の鉱山師や精錬工などの助けを得ながら研究を進め、1709年に磁器の焼成に成功したとの報告書を提出。翌年、マイセンのアルブレヒッツブルクに磁器工場が設けられ、西欧初の磁器の生産が本格的にはじまります。
 東洋磁器への憧れから出発したマイセン窯で熱心に取り組まれたのが、それらと同じような美しい絵付けを伴ったものの製作です。1720年、ウィーンから招聘された絵付け師J.G.へロルト(1696~1775)によって色絵の技法が確立すると、東洋風意匠のものが盛んに作られるようになります。
 着実に技術を高めていったマイセン窯で伊万里焼の精巧な写しが作られたのには、アウグスト強王が蒐集した東洋磁器コレクションにマイセン窯製品も加えて展示をするためのある計画が起因しています。その計画とは、「磁器の間」のみならず城全体を磁器で飾った壮大な「磁器の城」を作るというもの。彼が特に好んだ柿右衛門様式の伊万里焼のコレクションを手本とした精巧な写しは、強王のために作られたものだったのです。

 その後、1733年にアウグスト強王が歿すると、磁器の城計画は中断され、精巧な東洋磁器の写しも作られなくなります。そして、時代の流行に答える形で、西欧の気風が強いものが主力となっていきました。つまり、柿右衛門様式の伊万里焼を模したマイセン窯の作例は、アウグスト強王の磁器への熱い羨望と自己の欲求への飽くなき探求が生んだ、彼の生きていた時代の要求に応えたやきものなのです。

 本作は11月1日(木)から11月30日(金)まで展示いたします。製作背景に思い馳せつつ、マイセンに息づく日本の気風を感じていただければと思います。

(小西)


※本作は高台内にパレスナンバー(国王所蔵番号)が確認できるが、柿右衛門様式の伊万里焼に同形同意匠のものが管見の限り見当たらないこと、草花文の絵付けが焼成時に現れた黒点を隠すように施されていること、同様の文様配置の梅に鶉文が別作品への繰り返しの使用がみられることなどから、本稿では柿右衛門様式の精巧な写しの範疇には含めなかった。

【参考文献】
三上次男・吹田安雄『マイセン磁器』 美術出版社 1990
『住建美術館コレクション マイセン磁器の美』千葉そごう美術館 1998
『ドレスデン国立美術館展―世界の鏡:カタログ篇』日本経済新聞社 2005
前田正明・櫻庭美咲『ヨーロッパ宮廷陶磁の世界』角川学芸出版 2006
『柿右衛門様式磁器調査報告書―欧州編』九州産業大学柿右衛門様式陶芸研究センター2009
『開窯300年 マイセン 西洋磁器の誕生』町田市立博物館 2011
上野憲示『KAKIEMON おもしろ日本美術Ⅱ』文星芸術大学出版 2014
『色絵 Japan CUTE!』出光美術館 2018

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