春薫るこのごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
2019年度の学芸の小部屋は、開催中の展覧会に関連した作品をご紹介いたします。各展覧会では出展しきれなかった作品を「展覧会の隠れた逸品」というテーマで戸栗美術館の階段ケースにて期間限定展示いたします。毎月一日、学芸の小部屋の更新に併せて紹介作品の展示替えを行いますので、どうぞお楽しみに。
さて、今月は『佐賀・長崎のやきものめぐり』(4月6日(土)~6月20日(木))にちなみ「青磁 椿文 三足皿」をご紹介いたします。
本作は、見込に椿を陰刻した三足皿。長崎県・波佐見にて17世紀前半に作られた青磁です。爽やかな水色に近い青緑色の釉調は、同時期の波佐見青磁の特徴です。陰刻部分は線彫り(※1)と、片切り彫り(※2)を駆使した丁寧な作行き。陰刻部分に入り込んだ釉薬と平面との濃淡によって優しく文様が浮かぶ、繊細かつ柔らかい雰囲気の作品です。
波佐見焼は、17世紀初頭に佐賀県・有田を中心に生産がはじまった日本初の国産磁器である伊万里焼誕生後まもなく、有田と隣接する波佐見にて焼造がはじまったやきものです。はじめは波佐見西部にて陶業と平行して磁器焼成の試作を行っていましたが、1630年代には磁器の原料となる陶石が産出される波佐見東部の三股(みつのまた)にて開窯し、磁器専業となります。その三股地区の主力製品であったのが青磁。清らかな水を彷彿とさせる釉色と丁寧な陰刻文様、印花(いんか/※3)や貼花(ちょうか/※4)などの技法が駆使された優品が多くみられます。
その釉色から清廉な雰囲気をもつ波佐見青磁は城跡、家老や幕臣の屋敷跡、寺社跡など、当時の富裕層が暮らしていた場所から出土しています。その丁寧な作行きから察するに高級品として流通していたのでしょう。
例えば、小田原城下・欄干橋町遺跡の外郎家屋敷跡にて1987年に行われた調査では、江戸初期の廃棄とみえる遺構で織部や志野などの比較的高級な日本産陶器と共に、中国・明時代の青花、白磁、青磁が一括して出土しています。さらに17世紀中期の地層からは、伊万里焼の染付や波佐見青磁も一括出土しており、豪奢な暮らしぶりがうかがえる遺物のなかに、波佐見青磁も登場しています。
また、仙台城本丸跡からは牡丹文を陰刻した、波佐見三股青磁窯出土の青磁皿と類似するおびただしい量の陶片が出土しています。その数からして饗宴のためのうつわであったと推察され、行事ごとや、他国の大名をもてなすのに相応しいものとして、波佐見青磁が選ばれていたのでしょう。ちなみに、こうも大量に出土したのには、正保3年(1646)の地震の被災に際して一括廃棄されたためと考えられていますが、いずれにせよ雄藩であった仙台藩伊達氏の居城から多くの波佐見青磁がまとまって出土したことは、当時の上流階級層における波佐見青磁の需要を考える上で興味深い現象です。
それにしても疑問に残るのは、何故、波佐見は青磁を主力にしたのかということ。江戸時代には伊万里津から出荷され、伊万里焼の名を冠していた波佐見焼。一足先に磁器の生産体制を確立させ、染付を主力とした有田製品との差別化を図ったのではないか、三股地区にて産出される陶石の特性から、灰がかった白色に焼き上がる素地を隠すために青磁を主流としたのではないかなど、波佐見における青磁生産の契機については諸説あり、未だ見解の一致をみていません。そこで、当時の消費地遺跡に目を向けてみると、上流階級層における中国産青磁への憧れと、それを彷彿させる波佐見青磁の需要が見えてきます。
我が国で中国産の青磁の流通が最盛期を迎えるのは鎌倉期時代(1185頃~1333)のこと。日本への貿易陶磁の一角を担っていた青磁の名窯、浙江省・龍泉窯の製品は、時の権力者に好まれて重宝されました。ただし、16世紀以降は、江西省・景徳鎮窯をはじめとした青花製品に国内外の市場を奪われて、衰退の一途を辿ります。そのような状況下であっても、江戸初期の上流階級層の人々にとって中国産の青磁は、これまでと同様に大切にされていたようです。
波佐見青磁が出土している城址から中国製青磁も出土している例はいくつかあり、それらは全て上流階級層の遺構です。例えば、先に挙げた仙台城本丸跡からも14世紀から15世紀頃の龍泉窯青磁の大盤が出土しています。さらに、この遺跡では、16世紀後半から17世紀後半にかけての中国産の上級品が数多く出土。なかでも景徳鎮民窯で焼造された祥瑞や古染付など、しばしば伊万里染付の手本とされた青花製品とともに、伊万里焼の染付皿も出土していることから、中国の貿易磁器と日本の国産磁器の需要層が重なっていることを如実に感じさせる例といえましょう。
じつは、波佐見青磁の文様表現にも、中国からの影響がうかがえます。特に龍泉窯にて明時代初期に作られて我が国に運ばれてきた、造寺料唐船である天龍寺船が呼び名の由来となった「天龍寺青磁」の一群にしばしば見られる線彫りと片切彫りの陰刻は、波佐見青磁の陰刻技法と酷似しており、その背景として伝世している龍泉窯青磁を何らかの方法で丹念に研究したことは間違いないでしょう。
しかし、すべて龍泉窯そっくりに真似をしているわけではありません。特に、最大の違いである釉色は原料の違いはあれども、深い緑が特徴の龍泉窯青磁とは異なる清んだ水色を持つのが波佐見青磁。上流階級層が中国磁器を求めている最中に、波佐見は龍泉窯の青磁に私淑しながらも独自のやきものを作りました。ちょうど、中国磁器を目指しながらもオリジナリティーを深めていった有田の伊万里焼とも通じるものがあります。いずれにせよ磁器専焼体制が整って間もない17世紀前半の時点で当時の最高水準と呼ぶに相応しい良質な青磁を生み出した波佐見の窯業にかける熱量は大きかったことでしょう。
初期から高い力量を誇った波佐見の窯業全体に目をむけると、各時代の要請に果敢に応える産地の努力が見えます。本作のような三股地区系の青磁は、発掘調査などの結果から、17世紀前半までの生産と推定されています。その後、17世紀後半から海外輸出の活発化に伴い、新たな窯場が開かれて、生産体制を整えていきました。特に波佐見地区全体で東南アジア向けの染付の碗類の焼造に注力していきます。そのなかで、波佐見青磁の主要な生産地は三股地区から永尾地区の木場山窯へ遷り、アジア向けの龍泉窯の大盤を模した青磁を生産していました。
18世紀に入り海外輸出が低調になると、窯の巨大化と窯詰めの工夫を重ね、国内向けの「くらわんか」と呼ばれる厚手の染付碗類を量産する体制へ波佐見全体がシフトしていきます。折しも、18世紀は江戸時代のなかでも食文化の発展が見られる時代。そうした背景も相俟って、国内の染付需要が高まったことで、それに柔軟に対応した独自の大量生産体制を構築し、現代の波佐見のやきもの事業のスタイルに繋がっていきます。その一方で、17世紀前半より、波佐見の窯業の一柱となっていた上質な青磁の生産は、1720年ごろの長田山窯での生産を最後に、安価な染付製品の需要に圧されるように終焉を迎えることとなります。
波佐見は開窯当初から、時代による需要層の変化に多感に対応し、購買層の好みや必要に応じた適切なやきものを作り続けてきました。そのはじまりともいえる青磁は、需要層の好みを敏感に察知して、作風を展開していく産地の性格を確立する、重要な作例と位置づけることができるのではないでしょうか。清廉な波佐見青磁から、当時の人々の中国磁器への憧れ、そして波佐見のたくましい生産意欲、職人たちの矜持が垣間見えるようです。
(小西)
※1:先端の尖ったキリ状の道具で線を彫って文様をあらわす技法。鋭く繊細な文様を施すことが出来る。
※2:文様の際が最も深くなるように彫る技法。彫り口の断面は三角になり、線彫りよりも釉薬が多く入り込んで、文様に立体感が生まれる。
※3:スタンプ状の道具で文様をあらわす。
※4:細やかに形作ったパーツを貼りつける。
【参考文献】
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野上建紀「有田からみた波佐見焼4」『陶説』517号 日本陶磁協会 1996
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森達也『中国青瓷の研究―編年と流通―』汲古書院 2015