学芸の小部屋

2019年11月号
「第8回:染付 楼閣山水文 富士形皿」(展示期間:11月1日~11月30日)

 歩けば木々の色づきが楽しい今日この頃。戸栗美術館では「たのしうつくし 古伊万里のかたちⅠ」を開催中です。今回の学芸の小部屋では、様々な形の伊万里焼のなかから、富士形皿をご紹介いたします。

 富士形皿とは器形を三峰形の山頂をもつ山形とし、日本一の名峰である富士山をかたどった皿のこと。板状に粘土を切り出して型に当てて成形する、糸切り成形の技法が登場してから盛んに作られる器形のひとつです。伝世品の優品は、17世紀中期頃の作が多く、色絵や染付のほか、瑠璃釉や青磁釉などの色釉で全体に色彩を持たせたものなど豊かなヴァリエーションが見られます。加えて、伝世品の数が比較的多く、当時人気の器形であったのでしょう。

 富士山をかたどった器形のほか、伊万里焼の文様としても富士山はしばしば描かれます。 こうも伊万里焼に富士山があらわされているのは、日本人がいにしえより富士山に対して神性を見いだしていたことが大きいでしょう。

 その昔、頻繁に噴火していた富士山は、人々にとって畏怖の対象でありました。荒れ狂う富士山を遙拝(ようはい/離れた場所からその姿を拝むこと)し、神の怒りを静めるために浅間神社を建てて大神を祀ります。その後、11世紀末以降は修験道(山岳信仰に密教や道教思想を併せた神仏習合の教え)の霊峰として富士山信仰が定着していきました。富士山の持つ神聖な霊力を取り入れようと、登拝者が増えたことで山道の整備が進み、現在も登山客が後を絶たない日本の象徴たる名峰として国内外にその名を轟かせています。 このように古くから信仰の対象であった富士山ですが、じつは私達のもつ「三峰形の山=富士山」という認識も富士山信仰から生まれました。そもそも実際の富士山は台形で、山頂は水平に見えます。しかし、どうやら静岡県富士宮市の富士山本宮浅間神社より富士山を望むと、一番高い剣ヶ峰が中央に来て三峰形に見えるそうで、これが図案化されたといいます。


 また、富士山を三峰形にすることで、3つの頂に仏の三尊を重ね、仏の世界ないしは仏が神の形となって現れる場所として表現したようです。つまり、三峰形の富士山は富士山信仰の象徴的な図像であるといえるのです。

 三峰形の富士山は「伊勢物語絵巻」(和泉市久保惣記念美術館所蔵)や「遊行縁起(遊行上人縁起絵)」(兵庫・真光寺)など鎌倉時代の絵巻物に見られます。続く室町時代には「三峰形の山=富士山」が定着し、以降絵画や工芸品にもしばしばあらわされていきます。江戸時代以降も三峰形の富士山は引き続き描かれますが、後期に差し掛かると、これと平行して山頂を水平とした富士山表現が増加。これには、江戸後期の旅の流行や、登山道の整備が進んだことに加えて、庶民の間で「富士講」が流行し、実際に富士山を目にする機会が増えたことなどが挙げられるでしょう。かの有名な葛飾北斎「富嶽三十六景」や歌川広重「富士三十六景」などに代表される富士山を描いた浮世絵には、山頂を水平とした富士山が描かれています。

 以上の背景を踏まえて改めて伊万里焼での富士山表現を見ると、17世紀中期頃のものには山頂を三峰形とした富士山を描いたものや、その形の皿が見られます。


 また、日本の注文で作られたという中国・景徳鎮窯の古染付にも、三峰形の富士形皿が。江戸初期には、信仰色の強い三峰形の山を富士山としてあらわしていたことが窺えます。そして、浮世絵が流行する江戸後期のそば猪口や大皿には、山頂を水平とした山が富士山表現のヴァリエーションとして加わるのです。これは商品であった伊万里焼が当時の流行を敏感に取り入れたための表現なのでしょう。

 ちなみに、富士山とともに、その前景として松の木が数本描かれることがあります。これは富士を望む際の景勝地であった三保の松原をあらわしているのでしょう。
さらに面白いのは、前景を松原とせず、中国風の楼閣や柳、山水文様の景物である土坡や水面が描かれているものがあるということ。富士山をかたどった器形であるからといって、必ずしも富士山と関連する景をあらわさなければならないといった決まりはなかったようです。とくに富士形皿では、山形の器形を活かして、遠くの主峰を器形であらわし、前景を文様としてあらわすことで、器形と器面の文様が一体となった奥行きのある山水景をあらわすような構図をとっていることが注目されます。


 富士形皿は縁起の良いうつわとして、おめでたい席などで使用されたことでしょう。伊万里焼のかたちから、現代に連なる富士愛好の片鱗が透けて見えるようです。
(小西)


【参考文献】
『別冊太陽 骨董をたのしむ13 絵皿文様づくし』平凡社 1996
『日本大百科全書 電子版』小学館 2001
荒川正明『やきものの見方』角川書店 2004
関和男『後期伊万里 志田焼―大皿編―』創樹社美術出版 2004
竹内誠 編『江戸文化の見方』角川選書 2010
『別冊緑青12 そば猪口展開文様集』マリア書房 2010
大橋康二『文様別 そば猪口図鑑』青幻社 2011
『ブリタニカ国際大辞典辞典 電子版』ロゴヴィスタ 2016
谷釜尋徳「近世後期における江戸庶民の富士詣の実際 ―富士講登山に着目して―」(『東北大学スポーツ健康科学紀要16』p.1-14)東北大学スポーツ健康科学研究室 2019
佐賀県立九州陶磁文化館『柴田夫妻コレクション総目録(増補改訂)』同2019
渋谷区立松濤美術館『日本・東洋 美のたからばこ~和泉市久保惣記念美術館の名品』同2019

【webサイト】
http://www.fujisan223.com/
「富士山世界遺産公式サイト 世界遺産富士山とことんガイド」静岡県 文化・観光部 富士山世界遺産課(2019年10月20日最終閲覧)
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/
「歴史文化のまち静岡さきがけミュージアム」静岡市観光交流文化局 歴史文化課(2019年10月20日最終閲覧)

【謝辞】
本稿執筆にあたり静岡市観光交流文化局文化財課 三保松原文化創造センター「みほしるべ」より画像をご提供いただきました。
記して御礼申し上げます。

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