学芸の小部屋

2019年12月号
「第9回:染付 白鷺文 扇子形皿」(展示期間:12月1日~12月19日)

 師走を迎え、何かと慌ただしい時期となりました。館内でも、年明けの展覧会に向けた支度が進められております。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 現在、当館では伊万里焼の造形美に着目した展覧会『たのしうつくし 古伊万里のかたちⅠ』を開催中です。今回の学芸の小部屋では、「染付 白鷺文 扇子形皿」をご紹介いたします。



 本作は、柳の茂る水辺と、2羽の白鷺が描かれた扇形のうつわ。下方の扇骨部に四方襷文の陽刻の施された、端正で愛らしい組食器です。

 扇形のうつわは、伊万里焼誕生以前、桃山時代の織部焼や、明代末期の中国・景徳鎮民窯から輸入された古染付にも数多く見られます。これらは主に日本の茶人たちが発注して作られ、懐石料理の席で向付などとして使用されたものと考えられています。
 17世紀初頭に誕生した伊万里焼でも、扇形のうつわは早い段階から見られ、その後も定番のかたちとして製作され続けます。産地や時代は異なれど、やきもの史の中で賞玩されてきたモチーフの一つとして、伊万里焼へも受け継がれたのでしょう。

 この他にも、扇が伊万里焼の定番モチーフとして用いられた理由はいくつか考えられます。
 まず、当時の江戸時代の人々にとって、扇が身近な装身具であったことが挙げられるでしょう。元来、涼風を得るために日本で創製された扇は、平安時代には貴族の間で典礼や遊戯などに使われました。歌合の和歌を書きつけるなどの表現媒体でもあった扇は「扇絵」、「扇面」と呼ばれる日本画のジャンルとしても展開。室町時代には土佐派や狩野派の他、多くの町絵師がこれを手がけました。
 室町時代には裕福な町衆まで浸透していた扇ですが、江戸時代になって庶民へも普及。店先販売を行う「扇屋」の他、「扇売」、「地紙売(じがみうり)」などの扇関係の専門行商人なども登場し、扇は人々のファッションアイテムの一つでした。



 また、扇の持つ吉祥性も理由の一つでしょう。開いた先が大きく広がる形状が次第に栄えるという意味を連想させる扇は、江戸時代の人々にとっておめでたい器物でした。初対面の相手への贈物、正月の年玉や冠婚の儀式など、祝儀の進物として幅広く用いられました。
 江戸時代初期に歴史を始めとする伊万里焼では、扇の他にも松竹梅や、富士山、長寿をあらわす菊など、「おめでたい」モチーフがしきりに用いられます。実はこの頃、江戸時代に入って戦乱の世が終わり、生活が安定して暮らしが豊かになったことから、江戸の庶民を中心に商売繁盛祈願などの現世利益を祈願する信仰が盛んになったと言われています。こうした風潮を受けて、伊万里焼でも、縁起を担ぐ「おめでたい」モチーフが数多くあらわされたのではないでしょうか。

 「おめでたいもの」がブームとなった江戸時代。末広がりの扇をかたどった本作も、小粋でおめでたい、もてなしのうつわとしてさぞ重宝されたことでしょう。
 江戸時代、人々の暮らしの中にあった祈願や祝祭の活気を、うつわを通して感じていただけましたら幸いです。
(上田)


【参考文献】
河原正彦『古染付』京都書院1977
下中直也『世界大百科事典 4』平凡社1981
三谷一馬『江戸商売図絵』中央公論新社1995
早坂優子『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所2000
『古伊万里の見方 シリーズ2 成形』佐賀県立九州陶磁文化館2005
NHK「美の壺」製作班『NHK 美の壷 扇子』NKH出版2008
島田裕巳『手にとるように宗教がわかる本』かんき出版2008
山路興造『大江戸カルチャーブックス 江戸の庶民信仰 年中参詣・行事暦・流行神』青幻社2008
高橋貴『扇の文化』あるむ2011
『特別展:国宝「卯花墻」と桃山の名陶―志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部―』三井記念美術館2013
『古染付 -このくにのひとのあこがれ かのくにのひとのねがい』石洞美術館2017
サントリー美術館、山口県立美術館『扇の国、日本』サントリー美術館2018
『黄瀬戸 瀬戸黒 志野 織部 ―美濃の茶陶』サントリー美術館2019

Copyright(c) Toguri Museum. All rights reserved.
※画像の無断転送、転写を禁止致します。
公益財団法人 戸栗美術館