学芸の小部屋

2021年5月号
「第2回:染付 蛸唐草文 段重」

 江戸時代、伊万里焼は実用品として作られ、人々の暮らしの中に取り入れられました。多くの書画作品とは異なり、一つ一つの作品についての伝来の記録は殆ど残っていません。しかし器種ごとの用途については様々な資料が教えてくれることもあります。 今月の学芸の小部屋では、「染付 蛸唐草文 段重」の用途を考察いたします。



 本作は全体に蛸唐草文を描き埋めた三段重。胴径12.7㎝、高さは上・中段4.7㎝、下段7.5㎝と下段のみ深く作られています。段重は元々木製品が主ですが18世紀以降の伊万里焼では本来異素材で製作されるような器形も磁器で作ったものがみられます。江戸の風俗を絵入りで記した『守貞謾稿』(喜田川守貞/嘉永6年(1853)序)には、吉事に親類や知人に赤飯を配る際に使用したり、幕の内弁当を六寸の段重に入れたりと用途の一端を窺い知ることができます。また、大きいものは提重箱に入れて弁当箱としても用いるほか、宴会などでは、料理を振る舞うのに使われた様子が絵画資料から垣間見えます。




 食事の場面での段重の使用は現代でも珍しいことではありませんが、江戸時代の絵画資料を眺めていると化粧の場面にも段重は登場します。描かれる場面やうつわの中身からして、どうやら白粉を溶くための道具として使用されていたようです。ところが、先に紹介した『守貞漫稿』や江戸時代の百科事典である『訓蒙図彙』(中村惕斎/寛文6年(1666))や『和漢三才図会』(寺島良庵/正徳2年(1712)成立)には、段重の解説に「白粉を溶く際に使用する」等の記述は見当たりませんでした。また白粉の項目も同じで、白粉のランクや製造についての解説はあるものの、溶き方についての記載はありません。
 さらに、江戸後期に出版された化粧指南書『都風俗化粧伝』(佐山半七丸著・速水暁斎画/文化10年(1813)刊)や『容顔美艶考』(並木正三遺稿・浅野高造補著/文政2年(1819))、女性用の教訓本である『女重宝記』(苗村丈伯/元禄5年(1692))や『女用訓蒙図彙』(奥田松柏軒)等、実践的な要素を含む様々な文献資料の中から、白粉を溶くための道具にまで言及しているものを見つけることができませんでした。しいて言えば、『容顔美艶考』の化粧道具を集めた挿絵の中に段重が確認できる程度です。加えて、『婚礼道具図集』(日本古典全集刊行会1937)所収の「婚礼道具諸器形寸法書」(岡田玉山/寛政5年(1793))や現存する婚礼調度品の中にも白粉溶き用の段重は見当たらず、代わりに「化粧水入」と書かれた輪花あるいは菊花形の碗が見られます。

 江戸の庶民の風俗を色濃くあらわす浮世絵には描かれ、大名などの上流階級向けの『婚礼道具図集』に見当たらず、加えて『都風俗化粧伝』の挿絵のなかで、富裕層とおぼしき女性がもろ肌を脱いで白粉化粧をしている場面では碗形のうつわが確認できます。以上のことから段重を白粉溶きに使用していたのは主に庶民であって、上流階級では碗を使用していたことが予想されます。



 では、実際にお化粧の際にはどのように段重を使用していたのでしょうか。『都風俗化粧伝』の「白粉解きようの伝」によれば「白粉解く仕様は、まず白粉に水を少し入れ、指先にてそろそろとよくよくとき、また少し水を入れてとき、よくならしては、また水を少し入れて、よくよく解くべし。かくのごとく水を少しずつ入れ、指先にてしずかにむらなく解くこと数へん、のちにはだんごのごとくになるなり。かくの通り叮嚀(ていねい)にすれば、白粉の色うっきりと光沢(つや)出ずるなり」とあり、白粉と水を入れて何回もしっかり溶くことが大切であると言います。改めて浮世絵を見ると、手で何かを練っている様子や段重の一段に白粉が入れられている場面が確認できます。また、化粧の研究史を紐解けば下段に水を入れて、上二段をパレットのように使用した、上二段に水と白粉をそれぞれ入れて、下段で溶き合わせて使ったなど諸説見られます。
 先の「白粉解きようの伝」には続けて「それをのけ置きて、入用の時水を少し入れて初めのごとく指にて解きてつかうべし。白粉に光沢(つや)ありて、顔にぬりてよく落ち付くものなり」とあります。余った分を保管することを考えると、蓋付の段重は使い勝手がよかったのかもしれません。



 もう少し、絵画資料を見ていくと、白粉溶きに使用されている段重は食事の場面に登場するものよりも心なしか小さく描かれていることに気が付きます。もちろん縮尺がどこまで忠実であるかという問題はあるのですが、女性が手に持つことを考えると、白粉溶きに使用するものは大きくても口径10cm程度のものまででしょう。段重そのものの使用方法に決まりはなく、銘々のこだわりや使い勝手にあわせて様々な用途が想定されるため断言はできませんが、本作は大きさから食器として使用されたものと推察します。



 白粉ときとしての段重の使用は、磁器で段重が作られるようになって以降、誰かが便利と使い始めたものが広まったのでしょう。それを助けたのは広告としての機能を果たしていた浮世絵だったのではないでしょうか。もしかしたら、たまに見かける小さな段重類は広告効果で産地に依頼があって作られたものなのかもしれません。
自分好みの化粧道具を選ぶ楽しみは、料理を載せるうつわを選ぶ時の高揚感とどこか似ているように思います。それは日常の些細な営みを楽しむことに通じ、生活を豊かにする一助となるのでしょう。自宅にいる時間が増えた昨今、身の回りの道具や食器などにこだわった、何気ない楽しみで彩られた日常を送りたいものです。

(小西)



【参考文献】
高橋雅夫 校注『都風俗化粧伝 (東洋文庫 414)』平凡社 1982
喜田川李荘『類聚近世風俗志』(原名守貞漫稿)名著刊行会1989
『ポーラ文化研究所コレクション2 日本の化粧―道具と心模様』ポーラ文化研究所1989
小松大秀『日本の美術275号 化粧道具』至文堂1989
灰野昭郎『日本の美術277号 婚礼道具』至文堂1989
『よみがえる江戸の華―くらしのなかのやきもの―』佐賀県立九州陶磁文化館 編集発行 1994
『別冊太陽 染付の粋』平凡社1997
高橋雅夫『化粧ものがたり 赤・白・黒の世界』雄山閣1997
『九州陶磁の編年―近世陶磁学会10周年記念―』九州近世陶磁学会2000
『水野原遺跡 第1分冊』新宿区生涯学習財団 2002
『水野原遺跡 第1分冊』新宿区生涯学習財団 2003
陶智子『江戸美人の化粧術』講談社 2005
『古伊万里の見方 シリーズ5 形と用途』佐賀県立九州陶磁文化館 編集発行 2008
松下幸子『錦絵が語る江戸の食』遊子館 2009
谷田有史・村田孝子『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』三樹書房 2015
『ポーラ文化研究コレクション 浮世絵にみる江戸美人のよそおい』ポーラ文化研究所 2017
『女・おんな・オンナ~浮世絵にみる女のくらし』渋谷区立松濤美術館 2019

※文中浮世絵図版のうち、国立国会図書館所蔵のものは国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)を参照。
※歌川広重「婦人徳金の成木うつくし木」の画像は日本銀行金融研究所貨幣博物館より許可を得て掲載いたしました。この場を借りて御礼申し上げます。


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