学芸の小部屋

2022年10月号
「第7回:古伊万里のティー・ポット」

 日毎に秋の深まる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。当館で開催中の『開館35周年記念特別展 古伊万里西方見聞録展』(~11月6日)も残すところひと月余りとなりました。古伊万里を中心に、東西交易の証として生まれた作例を約80点展示しております。今月の学芸の小部屋では、その中から今回が初出展となるティー・ポットをご紹介いたします。



 「色絵 花鳥文 水注」(図1)は、後手(うしろで)と呼ばれる、注ぎ口の反対側に縦方向の把手(とって)を伴ったティー・ポット。長さ14.0cm、高さ8.0cmと小振りな作品です。上から見ると基本は楕円形で、胴部には10本の筋が入り、瓜割り状となっています。胴部中程には、水平方向に粘土の皺が見えることから(図2)、本体の胴部は上下半分ずつの型により成形されたのでしょう。別途、注ぎ口や把手を製作し、貼り合わせることで形作られています。



 17世紀中期までの古伊万里の水注は、把手が上部に付く、いわゆるお銚子の形状を基本としていました(図3)。それが、本作のように後手の形状が製作されるようになった背景には、中国製の陶磁水注の影響があったと考えられています。



 中国では、明時代(1368~1644)以降、茶壺(ちゃこ/ティー・ポット)の中に茶葉を入れ、湯を注いで出したり、火に掛けて煮出したりする飲茶法が出現するとされています。その風習は室町時代には日本へ伝えられたほか、西欧でも取り入れられることとなりました。
西欧では、16世紀頃から喫茶の習慣が認知されていたようで、17世紀前半以降、中国や日本から本格的に茶を輸入するようになりました。1610年にオランダ東インド会社が中国茶を輸入し、1637年には日本と中国からの船に毎年必ず茶を載せることが要求されたと言います。あわせて、茶を淹れる道具として中国・宜興窯製の紫砂茶壺(しさちゃつぼ)や、景徳鎮窯製の青花水注も運ばれていたことが、1640年代頃の沈没船の引き上げ資料などから明らかにされています。
 その後も西欧において喫茶文化が定着していきますが、中国では1644年に明から清へと王朝が交代した影響で、1680年代にかけて貿易が停滞。代わって、オランダ東インド会社は日本との結びつきを深めていきました。
 1660年代に本格化する古伊万里の西欧向けの輸出品の記録として、同社の公式貿易に関する仕訳帳があります。その中で、1668年にはすでに「ティー・ポット3個」とあり、製作および輸出がはじまっていたことが窺えます。また、1674年から1676年にかけての同社員による私貿易に関する記録には、「ティー・ポット30組」(1674年)、「ティー・ポット2個」(1675年)、「ティー・ポット24個」(1676年)などとあり、一定数が運ばれていた様子。なお、私貿易においては、税が軽く持ち運び易い小型品や、デザイン性にすぐれた品に関心が寄せられていたとされ、手のひらサイズで、かつ次に述べるように繊細な絵付けの施された本作のような磁器はとくに適していたと考えられます。

 さて、古伊万里の後手水注は、西欧における喫茶の流行と、中国陶磁器の代替として製作されはじめたと言えますが、器形は中国陶磁器に学びながらも、絵付けについては独自の感性が発揮されています。本作では、白い磁肌に上絵の黒や赤の細線で梅樹と鳥があらわされています。余白を活かした構図や、繊細な筆致の輪郭線、そして幾重にも重なる梅花の表現は、1670年代に完成し、西欧で一世を風靡した柿右衛門様式の色絵磁器に特有の表現。典型的な柿右衛門様式の作例に比べると、本作では賦彩が赤・緑・青の三色と控えめではありますが、梅花の重なりも繊細で、小鳥の表情も愛らしく、そして、描きにくい瓜割り状の器面や注口、把手に至るまで丁寧な絵付けが施されています(図4)。



 喫茶文化の流行をおさえた器種であり、なおかつ器形も絵付けも可憐な本作のようなティー・ポットは、西欧で東洋陶磁を待ちわびる需要者のみならず、危険を顧みずに航海に乗り出し、その代償として私貿易を許されていたオランダ東インド会社の商館員たちの眼にも魅力的に映ったことでしょう。とりわけ宜興窯の紫砂茶壺や景徳鎮窯の青花水注とは異なる、白い磁肌に施された彩り豊かな色絵磁器は新鮮に映ったに違いありません。小さな作品に凝縮された、東西交流の歴史を感じていただければ幸いです。

(黒沢)



【主な参考文献】
・小川後楽『煎茶器の基礎知識』光村推古書院1986
・東京都江戸東京博物館『掘り出された都市―江戸・長崎・アムステルダム・ロンドン・ニューヨーク―東京都歴史文化財団1996
・小林克「都市・物質文化比較の視点―都市考古学の成果から―」『史潮』新44号 同成社1998-11
・堀内秀樹「17から19世紀の東洋陶磁とヨーロッパ市場の動向(1)―沈船引き上げ資料の器種組成の検討から―」『掘り出された都市―日蘭出土資料の比較から―』日外アソシエーツ2002
・角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』改版 中公新書2017
・松井かおる「ティー・ポットを用いる茶について」『掘り出された都市―日蘭出土資料の比較から―』日外アソシエーツ2002
・稲垣正宏「17世紀の遺跡から出土する煎茶道具」『周縁の文化交渉学シリーズ1 東アジアの茶飲文化と茶業』関西大学文化交渉学教育研究拠点2011
・櫻庭美咲「ヨーロッパにおける磁器製茶器の発展―肥前磁器製茶器からヨーロッパ製磁器のセルヴィスへ―」『周縁の文化交渉学シリーズ1 東アジアの茶飲文化と茶業』関西大学文化交渉学教育研究拠点2011
・櫻庭美咲「オランダ東インド会社従業員による個人貿易―西洋向け肥前磁器輸出の考察―」『東洋陶磁』43東洋陶磁学会2013
・高島裕之「海外に運ばれた有田磁器の製作技術―オランダ・フローニンゲン博物館所蔵資料の考古学的研究―」『中近世陶磁器の考古学』第10巻 雄山閣2019


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