学芸の小部屋

2022年11月号
「第8回:瓦胎漆衣 熊足博山炉」

 戸栗美術館は2022年に開館35周年を迎えます。11月21日(月)の開館記念日から『開館35周年記念特別展 戸栗美術館名品展Ⅱ―中国陶磁―』を開催いたします。15年ぶりとなる館蔵中国陶磁の展覧会です。
今月の学芸の小部屋は、『開館35周年記念特別展 戸栗美術館名品展Ⅱ―中国陶磁―』の出展作品から「瓦胎漆衣 熊足博山炉(がたいしつい ゆうそくはくざんろ)」をご紹介いたします。

 本作は、中国・前漢時代(紀元前3~紀元後1世紀)に作られた灰色の素焼きの胎土に黒漆を施した珍しい手法の博山炉です。



 漢王朝は、中国における初の長期政体であり(※1)、それまで散漫としていた文物が儒教という下地の上にひとつにまとめられた時代です。いわば、古代の集大成期ともいえます。漢時代には青銅器や漆器の形を模した灰陶が散見されます。当時、高価であった青銅器や漆器を埋葬することにためらいがあったのか、それに代わるものとして作られたようです。ただし、灰陶に漆を施したものに関しては、湖南省長沙市馬王堆一号漢墓から漆器とともに出土していることから、漆器の代替品としてではなく、付加価値を付けるための漆加彩の可能性も考えられます。

 香炉の一種である博山炉は幾重にも重なる山々をあらわした蓋と身部を支える細い脚部を持つものが一般的です。中国では、香を焚くこと自体は古くから祭祀の場で行われてきました。より効率良く香を焚くための道具として、香炉は戦国時代晩期には南方で成立したと考えられています。
 漢時代から南北朝時代にかけて流行した博山炉ですが、本作は熊形の三足となっている珍しい作例。蓋には幾重にも層をなす山並みに沿って煙を出すための孔が開けられています。恐らく、香を焚いた際には、山々が仄かに香煙を纏い、まるで雲気漂う深山の仙郷に誘われるかのようになるのでしょう。山間に配置された熊2匹と猿、虎はかわいらしく、あどけない表情をしています。胴部は碗形で、口縁に白土と赤土で雲気文があらわされています。隆々と聳える山々と、生き生きとした動物たちが織りなす生命力に満ちた作品です。



 博山炉や博山形の蓋を持つ温酒尊(おんしゅそん/※2)は漢時代に急速に増えます。その背景には、神仙世界への憧憬がありました。不死に対する願いの強さや仙人への憧れから、彼らの住む山岳をも信仰するようになります。
 器形の名称になっている「博山」も、仙人の棲む海上の山と考えられている場所です。しかし、先行研究において漢代には「博山炉」ではなく「熏炉(くんろ)」、つまり香炉と呼ばれていたことがわかっており、製作当時から「博山」を意識していたかについては疑問が残ります。また、蓬莱山(ほうらいさん)や崑崙山(こんろんざん)など他の神山も原形の候補として挙げられていますが、いまだ定説をみていません。いずれにせよ、神仙世界の山岳をイメージしていることは、漢代の神仙世界信仰を考えても間違いなさそうです。

 今回は崑崙山との関連性をみていきます。崑崙山とは中国の西北にあるという伝説の神山。中国・神仙世界の最高神である天帝の地上での都でもあり、天上界と密接な関係のある場所です。山が重なり合って積み重なる地形であり、頂上は三角で周囲が円形に削り取られたような形とされています。本作の蓋の部分を見ると、地形、頂上の形、円形であるといった造形的な共通点が見られます。



 また、『山海経』(※3)によれば、崑崙山には「蜼(い/尾長猿の一種)」と呼ばれる長い尾を持つ猿が棲んでいるといいます。さらに、虎は、崑崙山に住む獣姿の神、陸吾(りくご)や開明獣(かいめいじゅう)、半人半獣の西王母(せいおうぼ/※4)などの身体のパーツに取り入れられていることから、同じく神の身体の一部に取り入れられている豹と共に崑崙山の象徴的な動物とされています。
 以上のように、蓋の器形やそこにあらわされている動物のうち、猿と虎については崑崙山との共通点が確認できました。ただし、本作は崑崙山の特徴のひとつである上が広く下が狭まる構造ではなく、また崑崙山の周囲四方から流れる川をあらわしていると言われる承盤(受け皿)も伴いません。
 また、熊については『山海経』の崑崙山の記述には登場しませんが、古代中国において様々な意味をもった動物です。まず周時代より辟邪の動物として扱われていたことが、墓門にあらわされた怪獣と戦う意匠や、墓に侵入する邪悪の化身とみられている蛇と戦う図案、文献の記述などから確認できます。また、熊の皮を被った人物が悪鬼を払うといった逸話や墓の装飾も見られます。加えて、夏王朝の創始者である禹(う)は黄河の洪水を治める際に熊に変じたという伝説にも登場します。さらに、熊は山に棲むことから陽の動物とされており、熊の夢は子孫繁栄の吉夢であったようです。様々な意味をもつ熊ですが、本作に限らず仙人や瑞獣たちと共に様々な器形にあらわされていることから、当時好まれたモチーフであったと推察されます。
 本作に関しては、崑崙山を下地としつつもそこだけに留まらない神仙世界をあらわしている可能性がありそうです。不死に対する憧れの強かった漢代には、熊が背負い瑞獣の棲む神山は、邪悪のはびこる心配のない理想郷であったのではと想像されます。

 瓦胎漆衣は漆を使用していることから、出展できる時期が限定されるやきものです。この機会に是非実物をご覧いただき、古代中国の神仙世界へ思い馳せていただけましたら幸いです。

(小西)


※1 新が途中に入り、前後に分れる。
※2温酒尊は、古代中国で使用されていた金属製の酒を入れる筒形の容器。副葬品として漆器ややきものでも作られた。
※3『山海経』は中国古代の戦国時代末期から前漢時代にかけて編集されたという中国最古の地誌。
※4 西王母は漢時代以降に不老長寿を司る仙女としての認識が広がるが、『山海経』の記述では半人半獣の異形としてあらわされている。

【参考文献】
本田済・沢田瑞穂・高馬三良 訳『中国古典文学大系 第8巻 抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』平凡社 1969
曾布川寛『崑崙山への昇仙 古代中国人が描いた死後の世界』中央新書 1981
曾布川寛・谷 豊信 責任編集『世界美術大全集 東洋編2・秦・漢 』小学館
『特別展 吉祥 中国美術にこめられた意味』東京国立博物館 1998
傅舉有「漢代漆工藝」(『台灣工藝季刊 第十二期』PP.81~94)國立臺灣工藝研究發展中心 2002
長村真吾「博山炉原型考 : 崑崙山との関係を中心に」(『アジアの歴史と文化』PP.57-75)山口大学アジア歴史・文化研究会 2007
長村真吾「博山炉の形成過程における北方香炉の誕生と西域香炉との融合」(『アジアの歴史と文化』PP.67-88)山口大学アジア歴史・文化研究会 2008


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