学芸の小部屋

2023年5月号
「第2回:Hob in the well」

 木々の緑が一層深まるこの頃。戸栗美術館では『「柿右衛門」の五色―古伊万里からマイセン、近現代まで―』が開催されています。古今東西の「柿右衛門」に注目した展覧会です。
今回の学芸の小部屋では、展覧会出展作品にちなんで、「甕割人物文」の西欧での受容を見ていきます。

 「甕割人物文」は中国北宋時代の政治家である司馬光(司馬温公/1019~86)の幼少期の逸話を図案化したものとして知られています。司馬光の幼少期、庭で子供たちと遊んでいた際に、そのうちのひとりが水甕に落ちてしまいます。他の子供たちは散り散りに逃げ出しましたが、司馬光は咄嗟に石を投げて甕を割り、水を排して子供の命を救いました。このエピソードは、現代の中国でも人命を最優先とした道徳的な訓話として尊ばれています。また、漢籍の輸入に伴って日本にも伝わり、江戸時代には日光東照宮の陽明門の彫刻や故事を図化した絵本、絵画や工芸品など多岐に渡ってあらわされました。

 「甕割人物文」は輸出最盛期の柿右衛門様式の伊万里焼の皿にも採用されます。見込左側に石を持つ緑の衣服の子供、すなわち司馬光が、右側には割れて水が流れ出る甕とその中から顔をのぞかせる子供、今まさにその手をとって甕から引き上げんとする赤い衣服の子供が描かれます。この意匠の伊万里焼の皿は西欧諸国に渡り、ドレスデンのアウグスト強王のコレクションにも加えられました。海を渡った伊万里焼は、東洋磁器ブームに押されるように、ドイツ・マイセン窯やイギリス・チェルシー窯、オランダ・デルフト窯など西欧諸窯で模倣されますが、中でも「甕割人物文」は人気の文様のひとつ。皿に留まらず様々な器種にあらわされています。



 現在、柿右衛門様式の「甕割人物文」は、英文では「Hob in the well」と呼び慣わされています。この呼称は1755年のチェルシー窯の販売目録に登場し、さらにコリー・シバー(Colley Cibber /1671~1757)の人気笑劇である通称『Hob in the well』に由来するものと既に指摘されています。これはトーマス・ドゲット(Thomas Doggett /1670~1721) の『The country wake』というコメディ劇を元にしてシバーが翻案したもので、メインピースの長編の後の一幕劇(アフターピース)として1711年以降度々上演されました。

 『The country wake』と『Hob in the well』とでは、登場人物の一人であるホブが井戸に落ちる場面がなかったり、登場人物に変更があったりといった細部が異なるものの、物語の大筋は同じ。主人公のフローラとフレンドリーの恋模様、それを執拗に邪魔するフローラの後見人で叔父のトーマス、一連の騒動に巻き込まれる周辺の人々を描いています。肝心のホブは田舎者(country fellow)で、『The country wake』からコメディ色の強い巻き込まれ役として登場していました。シバー翻案の『Hob, or, The country wake : a farce / by Mr. Doggett』(1715年)では、シーン2の最後にホブが夜中にフレンドリーの代理としてフローラへ手紙を届けようとしますが、後見人トーマスに見つかって井戸に落とされるシーンがあります(註1)。井戸から助け出されるのはシーン4で、ホブの母親が井戸に水を汲みにいくと、中から泣き声が聞こえ、怖がる妻に請われて駆けつけたホブの父親とともに井戸の水汲み桶を引き上げると、そこには行方知れずになっていたホブが桶に入ってしっかりとロープにしがみついていた、という場面です。
 つまり、井戸の水汲み桶に入って出てきたホブとそれを引き上げるホブの母親、駆けつけるホブの父親という場面の人物構成が、柿右衛門様式の「甕割人物文」の人物構成と、偶然にも一致しています。チェルシー窯の販売目録の名付けは、恐らくこの場面からの発想であったと考えられます。

 余談ですが、18世紀から19世紀にかけてのイギリスでは、メインピースの後に上演されるアフターピースの茶番劇や歌劇などのエンタメが流行。人気のある作品は主に上流階級の求めに応じて度々上演されました。その中でもホブは特に人気があったのでしょう。『The country wake』ではメインの役どころではないにもかかわらず、1710年の再演記録のキャストリストの先頭には「Hob」の名前があります(註2)。また、1711年以降、シバーによって翻案されたもののタイトルは『Hob, or, The country wake』と、ホブの存在が強調されています。加えて、1728年にはジョン・ゲイ(John Gay/1685~1732)によるバラッドオペラという手法をとった『The Beggar's Opera』が大成功を収めたのを皮切りに、当時イタリアから輸入されていた本場のオペラ楽曲やイギリスの市井で流行していた歌謡、民謡などに脚本の英文歌詞をあてて風刺的に上演する新形式の歌劇が登場します。『Hob in the well』も例に漏れず、ジョン・ヒピスリー(John hippisley/1696~1748)によってバラッドオペラの手法を用いた歌劇が作られ、茶番劇版と平行して繰り返し上演されていたようです。タイトルに『Hob in the well』と入るのは1730年10月7日の歌劇版の上演記録が初出とみえ(註3)、チェルシー窯の販売目録の年代に近いものでは、1748年の『Flora; or ,Hob in the well』と題したオペラ、1752年の『Flora, and Hob in the Well: Or, The Country Wake』と題した茶番劇の台本がそれぞれ確認できます。劇場のシーンペインターであったジョン・ラゲール(John Laguerre/1688-1746)が手がけた「Hob in the well」の場面を描いた油彩画(註4)やこれを元にした版画(註5)も残されており、恐らく当時『Hob in the well』という演目、ないしはホブという登場人物とその両親による井戸の場面は人口に膾炙していたと考えられます。

 斯くして、中国北宋時代の政治家である司馬光の故事であった「甕割人物文」は、18世紀イギリスにおいて流行した笑劇『Hob in the well』の場面との奇跡的な一致により、予期せぬ方向で受け入れられたのでしょう。全く異なる主題の既存の文様に当世の流行を重ねて商品名とするのは、あたかも替え歌のようでウィットに富んだ面白さすら感じられます。

(小西)



註1 ト書きに「They throw Hob into the Well then exeunt」とあり、井戸に落ちる場面であることがわかる。

註2 『The country wake』1710年2月18日(土) Queen's Theatreの記録。この時のホブ役は『The country wake』の作者であるドゲットであったが、1711年以降のシバー版でドゲット以外がホブを演じる場合もキャストリストの先頭に記載されているケースが散見される。『The London stage, 1660-1800; a calendar of plays, entertainments & afterpieces, together with casts, box-receipts and contemporary comment. Compiled from the playbills, newspapers and theatrical diaries of the period., pt.2 v.1.』Carbondale, Southern Illinois University Press, 1960-1968  P.213,P.430,P.456参照。

註3 正確には『Flora; or, Hob in the well』表記。ヒピスリーによる歌劇版『Hob in the well』の早い例は『The Beggar's Opera』が上演された翌年1729年に『Flora; an Opera』の名前で上演されている。ちなみに、『Flora; an Opera』は1735年に北米初のバラッドオペラとして上演され、当地に歌劇を広める契機となった。なお、2010年にリバイバル上演されている。Michael Evenden. Review: Flora's Descent; or Hob's Re-Re-Re-Resurrection. Eighteenth-Century Studies, Vol. 44, No. 4 (SUMMER 2011), pp. 565-567 (https://www.jstor.org/stable/41301605) を参照。

註4 John Laguerre「Hob Taken Out of Ye Well」1720~1730年頃 油彩 89.5 x 92.7 cm
Yale Center for British Art, Paul Mellon Collection など。
(https://collections.britishart.yale.edu/catalog/tms:879)

註5 Claude Dubosc(1682~1746)による「The Humours of Hob at the Country Wake in the Opera of Flora」(大英博物館所蔵)シリーズの版画が知られる。
(https://www.britishmuseum.org/collection/object/P_1877-1013-927)
なお、井戸から助け出される場面の版画は別作者によるシリーズの1794年のものが知られる。
(https://digital.library.illinois.edu/items/a571c430-4e7d-0134-1db1-0050569601ca-5#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-2394%2C370%2C6741%2C2807)

【参考文献】
Thomas DOGGETT. The Country Wake: a comedy. In five acts and in prose.1696/大英図書館所蔵版をGoogle booksにて閲覧
Colley Cibber. Hob, or the Country Wake, a farce. [In one act and in prose.].1715/大英図書館所蔵版をGoogle booksにて閲覧
John Hippisley. Flora; or, Hob in the well : An opera. 1748/大英図書館所蔵版をGoogle booksにて閲覧
John Hippisley. Flora, and Hob in the Well: Or, The Country Wake. A Farce.1752/大英図書館所蔵版をGoogle booksにて閲覧
The London stage, 1660-1800; a calendar of plays, entertainments & afterpieces, together with casts, box-receipts and contemporary comment. Compiled from the playbills, newspapers and theatrical diaries of the period.Carbondale, Southern Illinois University Press, 1960-1968 Pt.1~4
佐藤俊子「18世紀前半期のイギリスにおける舞台の形成 : 市民劇の成立」(『北星学園女子短期大学紀要』第15号 PP. 157~165) 1970 John Cecil Austin. Chelsea Porcelain at Williamsburg. Colonial Williamsburg, 1977
英国東洋陶磁学会編『宮廷の陶磁器 ヨーロッパを魅了した日本の芸術1650~1750』同朋舎出版1994
山畑 淳子「翻訳 『小イギリス演劇史』―A Short History of English Drama―」(『埼玉女子短期大学研究紀要』第6号 PP.265~291) 1995

※本文中の「The country wake」および「Hob in the well」のあらすじの概訳は戸栗美術館による。


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