学芸の小部屋

2023年6月号
「第3回:虫籠形香炉」

 庭の紫陽花が咲きほころび、ラウンジから見える雨景色も趣深いものとなっています。皆様、いかがお過ごしでしょうか。4月から開催中の『「柿右衛門」の五色―古伊万里からマイセン、近現代まで―』も残すところ20日あまりとなりました。約80点の「柿右衛門」作品を展示する今展は、今月25日(日)までですのでどうぞお見逃しなく。

 今月の学芸の小部屋では、上記の展覧会で出展中の「色絵 葡萄文 虫籠形香炉」(図1)をご紹介いたします。全体に虫籠をかたどり、三足を付した愛らしい香炉です。外側面は下段に赤い実を付けた葡萄文を描き、上段は虫籠の丸ヒゴ部分を黒で塗って合間には赤と緑の唐草文。蓋部分はハート形と半円形の煙孔および青色の紐部分を除いて、赤色の細線と小さな青色の丸で網目文を描き込んでいます。香炉の形状とぴたりと合うように絵付けを施すことで、精緻な造形がより際立って見えます。



 この種の虫籠を模した柿右衛門様式の伊万里焼には、口径7cmあまりの小ぶりなものや、口径15cmを超え、本体が二段に分かれる段重など、幾つかの類品が存在しています。側面の文様もそれぞれに異なり、下段に葡萄栗鼠文や藤文、鶴文、上段には梅花文や花唐草文など。蓋の煙孔の形状も、シンプルな丸散らしから花形、桜の花弁形が見られます。
 西欧の美術館にも類品があるため、虫籠形の伊万里焼は輸出品となって置物あるいは食籠などとされた可能性も考えられますが、昭和初期の売立目録に類品の掲載があることや、京焼に18世紀と推定されている同様の器形の色絵作品が残されていることから、一定数は日本国内で流通したのでしょう。日本では、古来和歌や物語上に貴族たちが虫の音を楽しんだ様子が残されてきました。虫の音を愛好する文化は本作の作られた江戸時代にも続き、とくに江戸時代の中期以降になると虫聞きが徐々に大衆化されていくとされます。
 17世紀後半は、伊万里焼の絵付け、成形の技術ともに成熟した時代でした。本作のようなタイプのほか、火屋全体を透かし彫りとした伊万里焼の香炉(図2)も虫籠を祖形とするとの見方もあります。生産地で高い技術の獲得によって複雑な造形が可能となり、一方で消費地では虫の音へ関心が寄せられていたことから、虫籠を模した伊万里焼が様々製作されたのでしょう。



 本作のような虫籠形香炉は、外側面に凹凸を伴う形状から基本的には型を用いて成形されたものと考えられます。ただし、上述のように器形や文様にバリエーションが見られるため、型自体も複数あったと推測されます。ここから先は、本作の場合の成形手順を見ていきましょう。
 本体となる身の部分は、内面に轆轤目(ろくろめ)が見られず、かわりに縦筋状の調整痕(図3)が認められることから、型押し成形によるものと考えられます。型にあらかじめ施していた凹凸によって、外側面の丸ヒゴ部分を盛り上げたのでしょう。青色の紐部分についても、口縁部付近や外側面に貼り付けの跡が確認できず、丸ヒゴ部分と同様に型による成形の可能性が高そうです。



 先端を小さく外側に折り返した足は別途型で作り、本体に貼り付けています。先端まで施釉されているため、足の形状を壊さないよう、底裏中央部に窯道具を当て、全体を浮かして焼成したことがわかります(図4)。



 本作の造形でとりわけ凝っているのが蓋。円盤状の部分と円盤に沿っている青色の紐、紐の先の赤色の房は、継ぎ目等が確認できないため型による一体の成形と推測されます。鈕となる結び目の部分のみ、別途貼り付けています。そして、見どころとなるのが網目文の部分。赤の線描きと青の彩色の下で、磁胎がわずかに盛り上がっています(図5)。この部分も一見型によるものかと思われましたが、円盤部分の端部から確認できる釉薬の入り込みの状況や盛り上がりのキワの形状から考えるに、水で溶いた粘土を細く絞り出す「イッチン盛り」と呼ばれる技法が使われている模様。煙孔はほどよく乾燥させた状態で透かし彫りの要領で切り欠いています。蓋部分だけでも、型押し成形、貼り付け、イッチン盛り、透かし彫りというように複数の技法を駆使しながら丁寧に成形されていることがうかがえます。



 以上のように、全体に優美な上絵付けが施されているために気付きにくくなっていますが、本作は凝った造形も見どころです。このほか、出展中の柿右衛門様式の伊万里焼には、繊細な牡丹花を貼り付けた角瓶や、型押し成形による小さな群像などがあり、17世紀後半の伊万里焼の成形技術の粋があらわれています。今回の展覧会では素地や絵具の「色」に注目していますが、ぜひ造形もあわせてお楽しみくださいませ。

(黒沢)



【参考文献】
・林屋晴三責任編集『日本の陶磁 第9巻 柿右衛門』中央公論社1974
・永竹威『陶磁大系20 柿右衛門』平凡社1977
・有田町教育委員会『赤絵町』同1990
・河原正彦『日本陶磁大系26 京焼』平凡社1990
・栗田美術館『栗田コレクションの軌跡と展開』同1990
・西田宏子編『ヨーロッパに開花した色絵磁器 柿右衛門展』朝日新聞社1993
・西日本新聞社『海を渡った古伊万里展』有田ヴィー・オー・シー1993
・出光美術館『柿右衛門と鍋島』同2008
・櫻庭美咲編『柿右衛門様式研究—肥前磁器売立目録と出土資料—』九州産業大学2008
・福岡市立美術館『九州古陶磁の精華—田中丸コレクションのすべて』朝日新聞社2008
・柿右衛門様式磁器調査研究委員会『柿右衛門様式磁器調査報告書―欧州篇―』九州産業大学2009 ・佐賀県立九州陶磁文化館『珠玉の九州陶磁展』同2010


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