学芸の小部屋

2024年10月号
「第7回:西欧における東洋人のイメージ ―マイセン窯の絵付師の芸術性と表現―」

 長い残暑もようやく少し和らいできました。戸栗美術館は展示替え期間のため休館中。次回展『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』は、館蔵の伊万里焼や景徳鎮窯磁器といった東洋の古陶磁を中心に、そこにあらわされる人物モチーフを解き明かしていく展覧会です。10月10日(木)より開幕いたしますので、秋の街歩きの際に是非お立ち寄りください。

 さて、今月号の学芸の小部屋では、次回展出展作品の先出しとして、「染付 人物文 皿」をご紹介いたします。ドイツ・マイセン窯の作例ですが、描かれた人物文様からは当時の西欧の人々を虜にしていた東洋趣味(シノワズリー)が垣間見えます。




 1710年に開窯したマイセン窯は、西欧諸国の中でもいち早く硬質磁器を焼成した窯です。東洋磁器の熱狂的なコレクターであったザクセン侯アウグスト強王(1670~1733)の命により、錬金術師ベトガー(1682~1719)や数学、物理学、自然科学など複数の学問を修めた科学者チルンハウス伯爵(1651~1708)らが協力して白磁を作り上げました。

   マイセン磁器は初期に東洋趣味の作例が多く見られます。特に人物文様については、1720年にウィーンのデュ・パキエの工房から招聘された絵付師ヘロルト(1696~1775)による東洋人物図案を主軸としたと言います。東洋趣味の絵柄を得意としたヘロルトは、当時奢侈品として流通していた輸入品の陶磁器や漆器、絹織物などの文様や、工芸品の装飾見本のために出版された銅版画などを参考に、絵付け工房の職人と共に夥しい量の東洋風図案を作成したとされています。
 こうしたマイセン磁器の絵付けにかかわるとされる図版をまとめて所持していた磁器コレクターがいました。彼の蒐集した図版は所蔵者の名前を冠して「Schulz Codex /シュルツ・コーデックス(註1)」と呼ばれ、現在はドイツ・ザクセン州ライプツィヒのグラッシ工芸美術館に収蔵されています。

 シュルツ・コーデックスには、一般に「ヘロルトのシノワズリー」と称される東洋人物図案を主体に、西洋人物や植物、さらには中国版画の写しとみえる図も収録され、その筆致や制作年代は統一を見ません。収集状況や内容を鑑みるに、原本のデッサンや図案として稿を起こしたものもあれば、既に存在している磁器や図案などから写し取った図版もあるのでしょう。現存のマイセン磁器と図案の一致を見るものもあり(註2)、絵付け工房での手本として、あるいは記録としての使用が想像されます(註3)。
 なお、この一塊の図版にはヘロルトの銘が入ったものは見当たりませんが、ミュンヘン美術館所蔵の彼の銘が入った東洋人物図案の版画や、彼の手掛けた磁器の作例と似た構図や筆致のものもいくつか見られます。こうした図案に関しては、ヘロルトの自筆によるものか否かはさておき、少なからず彼の製作した東洋図案のエッセンスが内包されているものと考えられています。

   前置きが長くなりましたが、まさに「染付 人物文 皿」の見込の人物文は、シュルツ・コーデックス図版№10に描かれている東洋人物のうち、茶会の準備をする人物(下図中①)と、ポットの湯を沸かすために火起こしをしている人物(下図中②)が元図であると考えられます。ただし、そのまま描き写すのではなく、人物の位置や持ち物の省略、改変が見られるのが面白いところです。例えば、茶会の準備をする人物は様々な器物ののったテーブルごと取り払われ、手にしていた皿やティースタンドのような器物の一部が茶器として写し取られています。さらに、湯を沸かす人物は、肝心のポットが省略されてしまっています。手にした火起こしの筒は本来の意味を失い、あたかも楽器を演奏しているかのようです。


 当時、西欧において模倣は芸術のアイデンティティとしてはタブー視されていました。マイセン窯でも、アウグスト強王からの東洋磁器の写しの特注や、パリの商人ルメーアらによる偽造を例外として、そっくりそのまま写すということは殆ど行っていません。シュルツ・コーデックスと比較しても、部分的な一致はあるものの丸写しの作例は少なく、図案から人物を切り取ったり再配置したりといったアレンジが見られます。
 本作も東洋風図案を参照しつつも大幅に再構成されています。人物のみならず右側の建物にも注目すると、中国風の楼閣に見えなくもないのですが、当時のオランダ絵画やデルフト陶器に見られる建物の気風も僅かに感じられます。人物の姿形こそ図案と共通するものの、西欧の美術的な時好とも調和したオリジナルな図案に発展していると言えそうです。余談ですが、本作の高台内には双剣の窯印の下に染付で「Mo」とあります。これがメビウス(Möbius)という画家の銘であれば、1760年代から1770年代の製作と考えることができ、当時の流行を鑑みると単なる東洋写しから一歩発展したデザインであるのも頷けます。

 シュルツ・コーデックスの図版からは長閑な東洋人のイメージが窺え、当時の西欧人が抱いていた東洋への理想郷的な印象を垣間見ることができます。それをさらに組み替えて独自の文様として昇華する行為は、マイセン窯の絵付師による芸術への飽くなき探求の賜物と言えるでしょう。
 『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』は人物文様だけでなく、それを取り巻く人々の人間関係にも目を向けた展覧会です。あらわされた人物文様はもちろん、作品を作る人、鑑賞する人、愛でる人……それぞれの「人間模様」にも思い馳せながら、お楽しみいただければと存じます。

(小西)


註1 参考文献①によると、ライプツィヒのグラッシ工芸美術館所蔵のシュルツ・コーデックスは124の図版からなる。これらは綴られていないことから、本稿では「図案集」と言った冊子状を想像させる言葉を極力使用しなかった。

註2 蒐集家のゲオルグ・ヴィルヘルム・シュルツが1919年10月29日、「ライプツィヒ装飾芸術美術館友の会」第37会期で「マイセン磁器で特徴的にみられる18世紀のシノワズリーについての講演」を行い、画家ヘロルトと直接の関係があるように見えるデッサン のアルバム(のちにシュルツ・コーデックスと称される図版の一部であろう)を紹介し、これらと自身のコレクションの磁器との関係性を指摘したのが本研究の皮切りとされる(参考文献① P9.参照)。また、マイセン磁器とシュルツ・コーデックスの図版との関連性については、参考文献⑥に詳しい。

註3 マイセンの絵付け工房では、シュルツ・コーデックスに含まれる一部図版からの透写図を今日まで所有し使用しているという。これらの透写図はほとんどが1880年代の日付の注文用紙にのり貼りされており、ドレスデンの製造所分室の由来とされている。また、これらの透写図の製作者はサインから、当時マイセンの絵付け師であったヴィルヘルム・ワッヘ(1860~1926)とされ、その一部に「J.D ヘロルトの手本帳にあるデッサンの複写」と記されていたという。シュルツ・コーデックスに含まれる図版は第1次世界大戦中に移動したようで、製造所からそれらが消失した少し後に、シュルツが入手したと考えられている(参考文献① P10.参照)。

【主な参考文献】
① I modelli di Meissen per le cineserie Höroldt., supported by Rainer Behrends, Giunti Martello – Florence, 1981
② 三上次男・吹田安雄『マイセン磁器』美術出版社1990
③ Maureen Cassidy-Geiger. Graphic Sources for Meissen Porcelain: Origins of the Print Collection in the Meissen Archives. Metropolitan Museum Journal,1996
④ 『華麗なるマイセン磁器 シノワズリ―、ロココからアール・ヌーヴォーまで MEISSEN』東京新聞2004
⑤ 前田正明・櫻庭美咲『ヨーロッパ宮廷陶磁の世界』角川学芸出版2006
⑥ Thomas Rudi, Grassi Museum für Angewandte Kunst. Exotische Welten : der Schulz-Codex und das frühe Meissener Porzellan. Hirmer Verlag, München, 2010
⑦ 『王立マイセン磁器美術館所蔵 マイセン磁器の300年』NHKプロモーション2011

※参考文献①中のイタリア語部分の翻訳は戸栗美術館による


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